教育福島0106号(1985年(S60)11月)-027page

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菊と父を見て思う

星名  正

 

手がけており、花の美しさばかりでなく、その実用性をも賞でておりました。

 

コスモス・リンドウ・菊そしてサルビアと、秋の花はそれぞれ個性に満ちている。好きな花となると人様々であるが、私は第一に菊をあげます。亡き父は雪の新潟県、それも山間の豪雪と絹織物の町、十日町市周辺のへき地教育に情熱を傾けるかたわら、菊・さつき・植物採集・囲碁・スキー等と多くの趣味を持っておりました。特に菊は土づくりからはじまって、菊見酒、おひたし・酢の物・塩漬まで手がけており、花の美しさばかりでなく、その実用性をも賞でておりました。

こうしたこともあって、父の転勤の度に「教員はひま人」と言う声が子どもの耳に聞こえてくるのです。二百余りの鉢を見れば無理もないでしょうが、子どもながらに「ひま人」と言う言葉のひびきに反発したものでした。父とさっきや菊との語らいは早朝と夕方に行われ、九月も中旬を過ぎたころからは懐中電燈を手にし、雨の日は傘をさして、「父さん、御飯だよ」と呼ばれるまで毎日続けられ、水やり・消毒・虫追いは子どもたちの協力によりすすめられていた。

これほどまでに、父が菊に情熱を燃やした理由として、菊が好きであったことの他に、親子の語らいの題材として菊を選び、また、家族全員の目標として大輪の花を咲かせることを願ったのではないかと思われる。菊の花は開花までに長期間を必要とし、家族の語らいと協力が何よりも大切であることを、子どもに役割と責任を与えることにより理解させようとしたのではなかろうか。それを自分の仕事だと思わせ、父の趣味の手助けをしてあげていると思わせて、長続きするように仕向ける。その他に父はなにを考えたのであろうか。

 

ある熱い夏、私は菊にやる水の量をごまかしたのです。二百鉢もの菊に、近くの堰からバケツに水を汲んでの作業は幼い体にきつく、それも午後四時迄に終らねばなりません。

誰も見ていないし、菊が告げ口をする訳もないのに、数日後「水は石の数だけやってくれよ」と言われたのです。各鉢の中には水の量を示す小石が置いてあるのです。注意された次の日からは、ごまかした菊に詫びながら、この前の分も含めて、せっせと水をやりました。数日後、前回同様の注意を受けて、不思議に思い聞いたのです。「葉の間隔は水の量に左右される」とのことでした。父の注意力・監察力に驚いたものでした。以来、展覧会に出品された菊の中に、葉の間隔の不揃いのを見つけるたびに、子どもながら父のことばを思い出すようになったのです。

 

現在、反抗期の二児の親となった私の家族全員の目標は家を建てること。これは目標が大きすぎて夢のまた夢でしかなく、子どもだけでなく親までもがなす術もない。もっと家族全員が自分の能力・体力の範囲内で協力し、楽しめる目標をみつけ、子どもに役割と責任を、そして私自身にとっては、家族の語らい、趣味仲間との語らいができるような楽しい趣味を一日も早く得たいと思っているのです。

(県立須賀川高等学校教諭)

 

赤いペン字

 

赤いペン字

矢吹ヒデ子

 

があり、女子中学生の憧れの的であった教頭先生が教えて下さっていました。

 

私が中学生の時のことである。私の母校は阿武隈山系にあり、農山村地帯で交通の便も悪いへき地にありました。その当時、数学の教科は、やさしい感じで品があり、女子中学生の憧れの的であった教頭先生が教えて下さっていました。

ある日のことです。提出していた数学のノートが手元に戻され、私は間違っていなかったかと恐る恐るページをめくりました。見ると赤い字で何やら書き記されているではありませんか。

 

『初心忘るべからず、時に及んで将に勉励すべし、歳月は人を待たず』

 

私はそれを見て嬉しくて嬉しくて、一字一句をかみしめ「よーし、がんばるぞー」と体の芯から熱いものがこみあげて来たことを今でも忘れられません。

 

 

 


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