教育福島0106号(1985年(S60)11月)-028page

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そうして、その時を機会に先生が好きになり、数学の教科も好きになりました。今思えば、当時の先生の存在は高い所にあり、とても近寄りがたい存在でありました。まして、教頭先生ともなればなおさらのことでした。しかし、ノートに言葉を記していただいたことで急に身近な存在と感じられるようになったのです。

こうして、勉学の方も順調に進み、やがて、高校卒業を間近に「進路を決める時」、資格を取得するため「学業と仕事を両立させる時」、そうして新しい職につき「行きづまりを感じた時」など、現在に至るまでこの「初心・・・歳月は人を待たず」という言葉は私にとって教訓となり、くじけそうになる私をなんど奮い起こさせてくれたことでありましょう。これからも、この言葉が教訓となり私の支えとなってともに生きていってくれるものと信じています。今でもノートに記されたあの赤いペン字がくっきりと心に残り、懐しく思いだされます。

 

元気な園児たちと……

元気な園児たちと……

 

私は現在、幼児教育の仕事にたずさわっています。自分のこのような体験から、もっと幼い子どもにも心に残る教育が大切だということを強く感じとっています。十人十色、幼児も一人一人性格が違い姿も様々です。その姿を良くとらえて指導しなければなりません。

例えば、自分の殻に閉じこもりがちな子にはそっと見守り、機会をのがさず言葉かけをしたり、いっしょに遊んであげたりする。不安や緊張感のある子には膚で触れ合い、やさしく言葉かけをして安心感を持たせる。乱暴になりがちな子にはできるだけ良いところを見つけてほめてあげ、さらに認めてあげる。愛情を持って子どもをみつめ、そして子どもに好かれ、ある時は『友』となり、ある時は『母』として、また『教師』として子どもとともに学び、成長し、少しでも心豊かなたくましい子どもに育ててやりたい。そう願いながら、幼児とふれあう保育の一日一日を大切に努力を重ねているこのごろです。

(滝根町立滝根幼稚園教諭)

 

森田征子

 

のは、小中学生。にこにこしてかけよってくるのは、高校生以上の教え子だ。

 

今年の夏は、特に暑い。この暑さとともに、会津の人口もぐっとふくれあがり、会津弁の中に耳慣れない言葉が入ってくる。そんな雑踏をかき分けるようにして「先生、先生…。」と呼びかける声。にこにこして手を振りながらかけよってくる教え子に会うことも多い。大きな声をだしてかけよってくるのは、小中学生。にこにこしてかけよってくるのは、高校生以上の教え子だ。

 

夏休みは、人と再会する機会も多く出会いもまた多い。その出会いが、人間・本・自然・言葉・動物とさまざまであり、出会いも積極的に自分から求めることもあるし、偶然の時もある。

 

「先生、A君が自殺したよ」と、悲報の電話を受け取ったのも夏休みだった。参観日には、いつも後ろでじっと我が子を見つめていらっしゃった両親。W高校から、また次の年A高校に進学しなおし、その後大学に入ったこと。いろいろなことを思い出しながら焼香に出かけた。笑顔の写真には、小学生のころの面影があった。両親の話の中に「先生に会いたい。でも先生忙がしいから…」と出かけては、途中で帰ってきてしまったことが、たびたびあったと聞き「忙がしいから…」の一言が強く胸をついた。

「会津で過した二年間がなつかしく、大学卒業を来春にひかえ会津を訪ねてみました。…先生にお会いしたがったのですが…」と卒業を待たずして「ガン」で亡くなってしまったK君の手紙にも「忙がしいから…」という言葉で結んであった。

「忙がしいから…」「忙がしくてつい…」とか「忘れてしまって…」と自分の都合で、無責任に片付けて来たのではなかったか。二人に出会った時は忙殺されそうな毎日で、あの小さかった教え子たちの目にも、それがわかっていたのだろう。なん十年前の私の姿がそのままそっくり心の中に残っていたのかと思うとすまない気がする。

 

心の余裕があってこそ、子どもたちの表情や言動から、その子の気持ちがよみとれるのだろう。心の余裕は毎日の授業ならば、十分な教材研究で生まれてくるだろうし、それよりも職務に専念できる環境に自分を置くことである。

 

 

 


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