教育福島0106号(1985年(S60)11月)-029page
「あの忙がしさの中に、どうして子どもを包みこむやさしさ、心の余裕があるのだろう」と先輩たちが、まぶしく見えた時代。挫折しそうな時、助けてくれた先輩・両親。各年代に、私の目標とする先生方がいらっしゃった。少しは近づくことができただろうか……。
ふと、見上げるともう秋の空だ。教え子たちも、さわやかな笑顔を残して職場へ学校へと帰って行った。私もまた子どもたちの可能性を信じて……。
それぞれの人生に私との出会いがなにかしらプラスになるよう努力したい。
(会津若松市立神指小学校教諭)
山岳部顧問として
佐藤伸也
雪解の水の音が心地よい春、残雪と岩稜と青空とのコントラストが素晴しい夏、紅葉と新雪の秋、吹雪が荒れ狂う厳冬と、四季折々の山容を私たちに呈している。
中学三年の夏に体験した初めての登山では、雲海、高山植物、満天の星等、私にとっては全くの未知の世界だった。これを契機に高校では山岳部に籍を置き、吾妻狭しと歩き回り、大学でもアルバイトをしては山に入る日々だった。三年前には永年の憧れだったヒマラヤに行くことができ、季節を問わず今や山は完全に生活の一部となっている。
現在の高校に赴任したのは二年半前で、山岳部はその数年前に同好会に降格され、登山経験のない会員が二名だけの寂しいものだった。どうせ転勤するのなら山岳部のある学校と思って来たのだが、これには落胆せざるをえなかった。しかしながら、無の状態のほうが自分の理想とする部を育て易いのではと気を取り戻して、部昇格を当面の目標に定めた。全校生徒を前にした着任式での会員募集の挨拶が効を奏したのか、人数だけは集ったのだが、ハイキング程度の意識の者が殆んどで、二週間も過ぎないうちに僅か四人に減ってしまった。猪苗代湖と磐梯山に囲まれ、吾妻、安達太良にも近く、恵まれた自然環境にあって、何故会員が集まらないのか嘆いてみたが、苦しいことは避けたいという現代高校生の気質と、山があまりに身近にあるということが最大の理由らしい。山は遠くにあるほうが人々の興味をそそるようだ。同好会でも他校の山岳部以上の厳しさと充実した山行内容を信念に指導にあたった。真面目な会員に恵まれたこともあり今年の四月には念願の部に昇格した。総勢六名と小規模ではあるが、山に取り組む姿勢だけは他校に負けないと自負している。
どの部でも言えることだと思うが、指導上最も苦労するのは、パーティーをいかにまとめるかである。仲間、つまりチームワークは登山の成否の大きな要因となっている。登山のように重いザックを背負い一日中歩き回る過酷なスポーツでは、どうしてもその人間のエゴが出てしまう。まして一週間近い合宿ともなればなおさらである。自己の感情を抑え仲間の気持ちを推し量り、バテた者の荷物を皆で分担する。病人に寝ずの看病をする、率先して仕事を見つけることは、山岳部員として当然の任務でなければならない。
肩にくい込む重いザック、泥だらけの靴、キズだらけの腕、そんな部員たちを眺めていると、下山したら全員退部届を持って来るのではと不安になるが、未だ誰も辞めないところをみると、徐々に山の楽しさがわかってきたのだろうと勝手に解釈している。卒業後も山を続け、また皆でパーティーを組み、酒を酌み交わしながら山を語り合えたら、と思っている。
(県立猪苗代高等学校教諭)
雄大な景観・ヒマラヤ山脈
体力つくり
鈴木清三
那須の山なみを眺めながら、自然の中で、思い切り走り回って育ったためか、子どもの時から健康で、運動が好きであった。
このためか、中学時代から、野球やバレーボールに熱中した。