教育福島0106号(1985年(S60)11月)-036page

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障として生けがきをつくり、学校の回りに木を植えて「学校の森」とするなどの配慮が望まれる。

 

2) 具体的事例

 

三春町の学校計画

−三春町教育委員会

 

三春町では、今後小・中学校あわせて五校の学校建築を予定している。このうち岩江小学校が今年二月に竣工した。

この五校は、老朽化、学級増、学校統合あるいはダム建設による移築と事情はさまざまである。いずれにしてもこれから十年以内には計画が完了しなければならないと考えている。

これらの学校計画をすすめるにあたって、まず第一のねがいは子どもの夢が育つ学校、子どもの夢が育つためには教師の夢が育つ学校を創りたいということであった。そして三春の歴史と風土に調和した美しい学校を創りたいと願った。

 

そのためには、従来の建築様式や考え方にこだわらず、教育の本質にさかのぼって学校建築の在り方を問い直してみる必要があった。

そこでわれわれは、昭和五十八年以降組織的に、学校のもつ教育機能、教師や親の教育観、教育内容と方法、校地、校舎、施設、設備のもつ意味等について、現在の教育が内包している諸問題を踏まえ、未来への課題を明らかにしながら検討と研究をすすめてきた。

この検討と研究を中心になって進めてきたのが、教育サイドでは「三春町学校教育研究員」の組織、建築サイドでは「三春町学校建築研究会」で、それの成果の第一号が、オープンスペースを取り入れた岩江小学校である。

その設計にいたるまでの計画段階の経緯について概略を述べてみたい。

 

一、計画の過程

 

(一) 研究体制

三春町教育委員会は、学校整備の問題を三春町における教育改革の一環としてとらえるべきであると考えた。これの基本的な見解を「学校教育の今日的課題と小・中学校建築のあり方について」という小論にまとめ、教育長の私見として昭和五十八年九月に関係者に提示した。

ここでは学校教育が一斉画一化していく中で人間教育が衰えていったこと、したがってひとりひとりを生かす人間主義教育の回復を主張した。

ついで、それを支える学習空間、生活空間、学習環境および学校教育と地域とのかかわりについての根本的な検討の必要を主張した。

そして、教育改革を推進していく実践目標として次の三つの柱を設定した。

1、教育観、学力観の確立および、教育方法の改革

2、学校施設・設備の改革

3、地域住民の教育参加

これの具体的施策として、一番目の教育内容や方法に関わる研究推進には

ア、指導主事(町の単独設置)、三春町学校教育研究員による一人一人を生かす教育についての研究、それの報告書の作成、成果の普及

イ、学校内の現職教育における主題研究

ウ、町内小・中学校長による学校経営懇談会における研究や情報交換

エ、研究協力態勢として国立教育研究所、県教育庁その他県外先進校による指導

二番目の新しい教育を支える学校建築と施設、設備の改善に関わる検討のために

ア、「三春町学校建築研究会」の発足

イ、テーマ「三春の町づくりにおける学校建築は如何にあるべきか」の設定と研究活動の組織化

ウ、報告書への集約を

三番目の地域住民の教育参加活動をすすめるために

ア、町づくり協会、PTA、教職員、町関係課、町議会、教育委員会による学校建築に関わる研修の組織化

イ、公報「三春の教育」による啓発活動の推進

ウ、ボランティア活動の組織化を全体計画に位置づけ、その推進をはかった。

このうち、前述二番目の「三春町学校建築研究会」は、新しい学校建築の実現に中心的な役割を果たしてきた。

この研究会のメンバーは、大高正人(大高建築設計事務所)、渡辺定夫(東京大学都市工学科)、山下和正(山下和正建築研究所)、鈴木恂(早稲田大学建築学科)、香山寿夫(東京大学建築学科)、長沢悟(同)、近藤道男(山下建築研究所)の建築家、研究者諸氏と町教育委員会、町担当課、町内小・中学校その他で構成し、前後七回にわたる研究会を開いて討議を重ねた。

この間、文部省施設助成課、同指導課職員、国立教育研究所加藤幸次氏、文教施設協会柏木健三郎氏、県教育庁財務課及び県中教育事務所職員の方々に随時指導を仰いだ。

 

二、基本計画の方針

 

(一) 学校の要望

三春町の学校計画は、前に述べた「学校教育の今日的課題と小・中学校建築のあり方について」(昭五十八・九)の、今日の教育的課題の整理に基いて学校建築のあるべき姿を追求しようという提案から始まっている。これを受

 

 

 


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