教育福島0107号(1985年(S60)12月)-025page
うれしい一言
渡部友幸
私が教職の道に入り六年が経ちますが、あれほど感動した事は初めてでした。私も十年前に高校を卒業する時にあんな事を言ったかどうかは覚えていませんが、初めて一年から三年まで教えたレスリング部の卒業生の一人が、送別会の時に、「私はこの三年間の部活動の中で学んだ事に誇りを持ち、社会の中に入っても自信を持って生きていきたい」と言ってくれました。その一言で、三年間指導したことが報われたというか、成長した彼の姿に自然と涙が出たことが思い出されます。
教職につき始めての一年間は、高校大学とレスリングをやってきた私は、強くなる事のみを考えて、生徒との意志の理解がなされないまま練習をしていたように思われます。厳しい練習についていけない一年生は、休みがちでした。やめたいという生徒も何人かいましたので、どうせ指導するなら本当にやる気のある生徒だけで、身の入った練習をしょうと考え、一年生十人を道場に集め、「やる気のある者だけ残りなさい」と言ったところ、一名しか残りませんでした。半分位は、私の気持ちをわかってくれて残るものだとばかり思っていたので、本当にがっかりしてしまいました。その日一年生一人と練習をした事を覚えています。でも次の日になって何人かが、私の所に来て、「もう一度やらして下さい」と言うのです。先輩に、練習はつらくとも最後までやりとおす事が、自分の将来の為になるとの話を聞いて考えが変わったという事でした。当日の練習は、今考えても、より一層身が入っていたように思われます。それ以来その生徒たちは、私の指導の下で、不平不満を言わずに、合宿、試合などと頑張っていた事を覚えています。中学時代は、ほとんど運動部らしい事をやっていなかった生徒たちが、この厳しくつらい練習を、三年間やりぬいたのです。骨と皮しかなかった体が、みちがえるような筋肉質の体になっていました。試合前には、とてもつらい減量を味わいながらも、勝利を目指して練習をかさね、その結果として、全国高校総合体育大会で準々決勝まで進出した者もでてきたのでした。能力がないという事で、一年の時に厳しい練習から逃げていたら、この結果は得られなかったはずです。「継続は力なり」この言葉につきると思います。
私は今定時制の学校にいますが、何回かその感動を味わいました。指導して来た生徒たちに、私の意志をわかってもらえ、社会の中に送り出すという事は、教職について本当に良かったと思います。これからも何度となく、この感動を味わえるよう、そしてその「うれしい一言」がまた聞くことができるよう、精一杯生徒たちとのふれあいを大切にしていきたいと思います。
(県立会津工業高等学校本郷分校教諭)
おかえりなさい
千葉英一
帰宅し、食堂のドアを開ける。「おかえりなさい」数人が明るく声をかける。ぼんやりとした顔がある。おしゃべりに夢中の、後ろ姿もある。
この現実に慣れるまで、一か月かかった。最初の一週間は、「ただいま」さえ言えなかった。子どもが大勢家にいる。学校にもどった気分である。
新採用として赴任した古殿中学校には、遠距離に家庭のある生徒の学習の便を図るため、寄宿舎がある。入舎生三十四名の、県内最大の寄宿舎である。私は、そこの生徒指導を任ぜられた。新採用で、教壇に立つのも初めての私に、そのようなことができるだろうか。思春期の女子生徒には、どのように接すればよいのだろうか。生徒指導という名前に、なにか肩ひじ張ったものを連想し、当初はたいへん戸惑ったものである。
だが、校長先生を始めとして、先輩の先生がたや舎監は、こんな頼りない私を暖かく見守ってくださった。生徒たちに、昨年度の寄宿担当の先生との違いを指摘されて悩んでいたとき、四月も半ば過ぎの土曜日、ある先生が、次のように励ましてくださった。
「誰でも、教壇に立ち始めて間もないころは、自分が本当に、大学を出た二十歳過ぎの大人なのだろうかって、自分の力が信じられなくなって、情けなくなる時がある。でも、子どもたちはそんなことには関係なく、一人の教師として見るわけだ。先生の場合は特に、いっしょに飯を食べ、いっしょに風呂に入っているから、普通の教師よりも親しい立場にあると、子どもたちは思っているんだ。だからこそ、いろいろなことを言われるんだよ。あまり