教育福島0107号(1985年(S60)12月)-029page
本当の教師に
星善樹
「子どもには、すばらしい可能性があるんだ。それをひきだしてやるのが、教師の仕事だ」学生時代、安い酒を飲みながら、そんな言い古された言葉を意気ごんで話ていたものでした。あれから四年たってようやくそれを、実感として味わえる幸せにめぐりあうことができました。
私が、S子と出会ったのは、一年前でした。S子は、その時アトピー性皮膚炎で、顔にも白い部分がみられ、友だちからは、決して好かれる存在ではありませんでした。学習意欲も不足し、成績も下の方でした。そんなS子が少しずつ変化を見せてきたのは、二学期も半ばになったころでした。私の学級では、「漢字博士大会」というものを、年に何回か実施しています。そして、がんばった者には、賞状を与えるとともに、学級通信で発表することにしています。この「漢字博士大会」の三回目に、S子の名前が出てきたのです。私は、うれしくなって、子どもたちの前でS子のがんばりをほめるとともに、学級通信でも取りあげて知らせました。その小さな出来事で自信をつけたS子は、他の教科についても、「やればできるんだ」という気持ちで取り組み始めました。効果は、急には上がりませんでしたが、苦手の算数など少しずつ成績があがってきました。そして、今年の五月には、町の絵画展で特選をもらうような絵も描きあげました。学級の子どもたちのS子を見る目も少しずつ変わってきて、今年の前期には、学級副委員長に推せんされ、一生懸命に努めました。
こんなにS子を変えたものは、なんだったのか。ある時、父兄参観にみえた母親からこんな話を聞きました。「うちの子は、先生が、ご自分の小学校のころの話をされた時のことを、いつもはげみにしていたようです。その時先生は、『自分も三年生ごろまでは、通信簿は“三”ばかりだったけど四年生、五年生とがんばろうと思って勉強したら、“四”と“五”になった。だから、みんなもがんばれば、きっとできるようになる』と、話してくれたそうですね。うちの子は、それを聞いて『先生だってそうだったんだから、私もがんばればできるようになるかもしれない』といって、それまでは、言われてもなかなかしなかった勉強を、自分から進んでやるようになり、家でも全く手がかからなくなりました」
私のなにげない言葉が、きっかけになり、次第にS子の持っている可能性を少しながら引き出すことになったのです。母親の話を聞いているうちに、私の胸の中は、言いあらわせない喜びで、とても熱くなってきました。
これから、ますます、いろいろな面で難しくなっていくであろう教育の世界で、私は、この体験を大切にし、多くの子どもの可能性を引き出してやれる本当の教師になれるよう自分自信を鍛えていかなくては、と思っています。
(猪苗代市立吾妻第一小学校教諭)
自然の中で
湯田二三雄
私はかつて(昭和三十年代)、檜枝岐村大杉分校に勤務したことがある。その当時は、自然学習と遊びを大事にしたものであるが、最近の子どもたちは、その大事な機会を失っているように思われる。
子どもは泥んこが好きだ。水いたずらも大好きだ。しかし、頭のてっぺんから足の先まで泥んこになり、帰ってきた子どもに「あら、きょうはずいぶんお勉強してきたわね」とニッコリ笑えるお母さんが、どれだけいるだろうか。
私は子どものころ、泥んこ遊びが大好きだった。私の育った村には、田んぼもあったし、雑木林もいっぱいあった。泥んこ遊びをやるには、水がないとだめだ。私たちは仲間と連れ立って川へ遊びに行く。魚をつかまえたり、泥をこねて、だんごをつくる。それを
猪苗代湖にて……