教育福島0107号(1985年(S60)12月)-034page
美術
「絵本づくり」を通して何を育てるのか
県立若松女子高等学校
教諭 山県勇一
はじめに
高校の美術教育は表現技法(テクニック)の修得に重きが置かれ、生徒の表現意欲の問題についてはないがしろにしてはいまいか。という疑問があります。表現することのよろこびをもてない多くの生徒たちに、単なる技術の伝達のみを重視することではなく、生徒は何を表現したいのか「生徒の心の叫び」を引き出すことができたならば、生徒は、持っている創造性や創作意欲を発揮し教師の予想をはるかに越えた表現をし、「無限の可能性」を表出してくれるものと信じています。そのための教材として、絵本つくりを五年前からとり入れ、今日にいたっています。絵本つくりは、表現の主体となる「主張」という点で、すぐれた教材となっています。絵本は、作者の「言いたいこと」を大切にしなければならない教材であることに魅力があり、二年生の教材として位置づけ、毎年実施している、次に、その指導の過程を順次紹介いたしたいと思います。
一 導入にあたって
芸術は「見る人次第」といった無責任な表現の氾濫や、芸術は解らないもの、不可解なものという……つまり、社会生活とは無縁な世界の事象といった見方のある中で、生徒を、真の芸術を正しく理解し、また、理解できる人間として成長させるために、あらゆる角度からのアプローチを考えている。今回は絵本制作にあたって「アンクルトム」という奴隷の一生を扱った小説がアメリカの奴隷開放の歴史の進行を早めた事など……、芸術作品が人間に与える感動の大きさによって、現実の社会を変える程の力を発揮しうるものであること。もしかすると君たちの絵本が学校や社会を動かすキッカケを作る可能性を持っているのでは……と話をする。生徒は、生徒には自分の言いたいことがいえる教材として人気があります。
二 「主張」があること
高校生として一番訴えたい事、いつわらざる自分の悩みや要求、つまり本音を出させることが最大のポイントです。
そのテーマが借物であったり、この程度にしておこうなどの状態ですすめると魅力のない作品になります。生徒の心からの叫びが出ればそれだけそのテーマにせまり、資料の収集、下描きのためのデッサンなどは厳しく追求する姿勢が生まれ迫力あるものに仕上がります。
しかし、本音を人前にさらけ出すことはそう簡単にできるものではないことです。そこで教師自らの悩みを真剣に話し教師の姿勢を理解させます。そして自分の将来への不安をもつ生徒、多様化している生徒たち、君たちに話題の一つ、二つないはずがないとせまります。
すると十人十色でいろんなテーマがとび出します。校則、思いやりの問題恋愛論、大人と小どもの問題など様々です。その中からいくつかを紹介します。
−これは世間体ばかり気にする母親をもつ非行化しつつある生徒のストーリーです。
或る日、お母さんが少女を連れて買物に行くが、途中街角で合った近所の奥さんといつもの様に立ち話。その間に少女はあきてしまい遊びに行ってしまう。するとどこから来たのか、かわいい妖精に出合い誘われるまま妖精の国に行って楽しく遊ぶ、立ち話の終ったお母さんに妖精の事を話すのだが理解してくれるお母さんではなかった。
−次のストーリーは実際にその生徒の弟が不治の病で母がその弟にかかり切りの状態だった生徒のものです。
A君は外では遊べない寝たきりの子供だった。そんな事を理解出来ない雪だるまが、一緒に遊ぼうとA君をさそう。度重なる誘いにA君は一日中、思い切り雪合戦やソリ滑りで雪だるまと遊ぶ。案の定その晩A君は高熱を出し、救急車がかけつける。雪だるまはおどろいて救急車の後を追い病院の中まで追いかける。しかし病院内の温度は雪だるまを徐々に融かしていく。でも雪だるまは心配で自分の体の事などどうでも良かった。病室にたどり付きベッドで酸素吸入をしているA君に「ごめんねボク知らなかったもんだから………」と告げるのがやっとでついに融けてなくなうてしまいました。雪だるまが融けてなくなると同時にA君は息を引き取りました。
今はこの二人は天国で思う存分仲良く遊んでいるということです。
同級生をモデルに絵本のデッサン