教育福島0107号(1985年(S60)12月)-042page

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県川内小学校でひたすら教育に情熱を傾けられた先生の日記を読みながら、熱い感動がこみあげてきた。今は、喜多方でご健在とのこと、一度お会いしたいものだと思いながら果たさずにいる。

福島での三年間に、東北各地を旅行したり、いろいろのことを貧欲に吸収しようというのも私の願いであった。幸にして県内はもちろん、東北六県に足をふみ入れ、函館の夜景までも見ることができた。家族旅行で、職員旅行でいろいろな土地に行き、人にふれ、冬の厳しい東北の人々のくらしと暖かい人情を感じた。

 

福島の自然の豊かさには驚かされた。私は鹿児島市内に十三年間も住んでいたので、自然に目を向ける機会、余裕も少なかったのかもしれない。自転車で五分も走ればりんご畑やもも畑があり、特にりんごの楚々とした白い花、秋の赤く実ったりんごなど眺めると、胸おどる思いであった。

先生方の好意で、安達太良山登山、尾瀬沼や尾瀬ケ原と案内していただいた。イワカガミ、ショウジョウバカマなどの高山植物、尾瀬のミズバショウ、リュウキンカ、タテヤマリンドウなどの花々に目をうばわれ、思わず小声で「夏の想い出」を歌っていた。

秋の紅葉のすばらしさも私を魅きつける。鹿児島も紅葉はするのだが、一日の温度差がこちらほどなく、紅葉の見られるのは十一月の末である。それも、ああ紅葉の時期ということもなく終ってしまう。

ネイチャーセンターに代表される福島の野鳥王国、何とすばらしいことだろうと思う。ここに来て、私は家族共々野鳥への関心を開眼した。私の住居は弁天山の近くにあり、椿山、大平山、秋葉山、小倉寺と緑豊かな環境の所にある。朝は小鳥の鳴き声で目がさめる。一、二年目は、何かと忙しく鳥にまで目を向けられなかったが、三年目にしてやっと鳥の鳴き声で何の鳥か分かるようになった。

東北の「いも煮会」も私には珍らしい風習であった。戸外で鍋を囲みながら、秋を惜しみ、やがて来る冬に備えての北国の人々の豊かな生活の知恵と風情を感じた。

三年間、私は、学校、地域社会、自然環境、そして、子どもたちや父兄から多くのことを学んだ。特に、子どもたちの生き生きと授業に取り組む態度や素直さ、父兄の教育への関心や協力など、私には、身にあまる喜びであった。

 

授業から

授業から

 

本県の英語指導を通して思うこと

(臨時教育審議会への提言に思う)

福島県教育センター 英語指導主事助手

カール・E・サンドバーグ

 

婚して、より以上に福島の方々の親切であたたかい情の深さを感じています。

 

私は、文部省英語指導主事助手(MEF)として、福島県に来てから、二年以上にもなりますので、福島県を故郷の様に思っております。私は、約二百五十校の中学、高校を訪問してきました。私は、MEFの仕事に誇りを持っております。私は、県内を車またはオートバイで、約三万キロも走り、美しい県内を自分の目で見ることができました。最近私は、会津の女性と結婚して、より以上に福島の方々の親切であたたかい情の深さを感じています。

私の活動は、県の仕事や学校訪問のほかに、全国百三十人のMEFの会長の仕事もしていました。私は、この仕事を通じて、臨時教育審議会(臨教審)について興味を持ち、グループで、臨教審に提言をいたしました。私たちの提言は、次のようなものですが、一部を省略して掲載しました。

私たちは、英語教育に関係しておりますから、七月に臨教審に出した提言は、ほとんどが英語教育に関するものです。それらは、私たちが、これまでの経験から、日本の教育、教師、学校そして生徒について、見て感じたこと考えたことなどを述べたものです。

 

臨時教育審議会への提言

(一部省略)

 

私たちは、公立中学校と高等学校の生徒及び先生に英語を教えている米国人のグループです。私たちの多くの者は一年程日本に滞在しておりますが、なかには二年以上も滞在している者もおります。私たちのほとんどの者は、日本語あるいは、日本の文化について研究をしてきております。現在、私たち全員は、日本、特に日本の教育に深

 

 

 


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