教育福島0107号(1985年(S60)12月)-047page

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県立図書館で文献目録を発刊

「ふくしまの女性たち」

 

図書館コーナー

 

図書館コーナー

 

な資料を提供することや、所蔵資料の利用説明をすることなどが含まれます。

 

図書館業務の一つに、レファレンス(調査相談)というものがあります。『レファレンス』あまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、これには、図書館の機能を駆使し調査を行い、利用者の質問に対して適切な資料を提供することや、所蔵資料の利用説明をすることなどが含まれます。

昨年七月のオープン以来、県立図書館で受けた福島県(郷土)関係のレファレンスについて見てみると、約千七百件ほどありましたが、これを主題別に分けた場合、人物に関するものが圧倒的な割合を占めています。このような実績を踏まえ、今後の図書館におけるレファレンスサービスが円滑に行われること、更には、郷土の人物史研究の一助になればということで、このたび、各分野で活躍し、功績を残した郷土出身またはゆかりの女性(物故者)十四人を選び、「ふくしまの女性たち」と題した文献目録を作成しました。この「ふくしまの女性たち」は、掲載女性十四人のプロフィールを紹介すると共に、文献については、図書・雑誌・視聴覚資料に分け、それぞれ書名・著者名・発行所・発行年月・該当ページ等を記載、発行年代順に並べたもので、表紙には高村智恵子が雑誌「青鞜」の創刊号に発表したものを使用しました。

このような詳細な文献目録の作成については、先に当館が行った県内の市町村立図書館等からの県立図書館への資料整備に関する要望調査でも、多くの要望があった項目の一つでもあります。

この「ふくしまの女性たち」のような文献目録は、図書の貸出や検索の迅速化に大いに役立つものと思います。

この目録では、当館所蔵文献の数等も選定の基準として、次の十四人を取り上げました。

●市原多代女(俳人、一七七六−一八六五)兄の勧めで俳諧の道へ入る。生涯を俳句に精進し、江戸期を代表する女流俳人といわれている。

●瓜生岩子(社会事業家、一八二九−一八九七)自らの不幸に屈することなく、貧民孤児救済や医療施設の創設など、社会事業にその一生をささげた。

●海老名リン(子女教育者、一八四九−一九〇九)戊辰戦争で敗れた会津を復興させるには教育事業が必要であると決意し、当地の子女教育に先鞭をつけた。

●おけい(日本最初の移民女性、一八五三−一八七一)十七歳でアメリカに移民し、農耕に精を出すが失敗、その後熱病の為十九歳でその一生を終えた。

●渋谷黎子(農民運動家、一九〇九−一九三四)二十歳で上京、農民運動等に参加するが昭和七年の吉見事件で逮捕、それが原因で短い生涯を終えた。

●関屋敏子(声楽家、一九〇四−一九四一)日本初の本格的オペラ「椿姫」の上演など各地で活躍するが、三十七歳の時、自らその生涯を閉じた。

●高村智恵子(洋画家、一八八六−一九三八)晩年精神に異常を来すことになるが、この頃熱中した紙絵には、知性の輝きと深い愛情が感じられる。

●新島八重子(教育事業者、一八四五−一九三二)妻として夫新島襄を助け同志社の基礎確立に尽力すると共に、その発展に多大な貢献をした。

●服部ケサ(医師、一八八四−一九二四)「日本の癩患者の救済は日本人の手で」という理想を掲げ、その一生を救癩事業にささげた。

●水野仙子(小説家、一八八八−一九一九)女性らしい繊細な感覚を写実的な筆致の中に巧みに生かし、自然主義を代表する女生作家と評されている。

●宮本百合子(小説家、一八九九−一九五二)安積開拓農民の姿を描いた「貧しき人々の群」が処女作。以後プロレタリア作家として多くの作品を発表。

●山川捨松(日本最初の女子留学生、一八六〇−一九一九)アメリカへ留学、英文学を学ぶ。帰国後その教養を遺憾なく発揮、鹿鳴館の花形とうたわれた。

●吉野せい(農民作家、一八八九−一九七七)「漢をたらした神」が代表作。その作品の全ては、自分の人生を確めるために書かれたものであった。

●若松賎子(翻訳家、一八六四−一八九六)「小公子」における翻訳は流れるような名文であり、女流文学者としてその名を不動のものとした。

 

なお、この文献「ふくしまの女性たち」は、県内市町村立図書館・公民館等に配布されており、これに関する当館所蔵資料を十月二十五日から十二月二十五日まで館内に展示しております。

 

 

 


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