教育福島0110号(1986年(S61)04月)-022page

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いき」という問題を起こす、ともいわれる。そこが、この改革手段の最大の難点である。まず、人格の点数化は、ほとんど不可能にちかいともいえる。国語や算数のように、数量化が困難である。ある出題を、十点満点のうちの何点に評価するか、といった問題よりも、いじめを止めた行動に何点与えるかが、はるかに困難である。それに、生徒のこのような行動をすべて、先生が把握できるかという問題もある。

良い人格は、点数に書き変えないで、特筆すべき行動を、記述するという方法を考案すべきではないか。評価の新しい方法として、人の人格というような内面的な価値に依存するのでなく、外形として現れた「行動」を、評価の対象として記述することも有力だろう。客観的な行動は、疑うことなく、事実は事実として存在する。そこにひとつのウェイトを置くことも、考えるべきだろう。

アメリカの大学では、この方法が現実に採られている。ただ、どういうボランティア行動を、どれだけ評価するか、どういう人物の推せんを価値あるものとするかなどは、いわば各大学のノーハウであって、明らかにされていない。しかし、ハーバード大学では、成績が七十点、あとの三十点をタレント性やボランティア行動などで、評価するといわれている。

高校生の日米比較研究をして、アメリカ側の学者が、一様に驚いたことがあった。日本では「他人を助ける」ことが、生徒の中で価値が余りない。アメリカでは、これがないと、大学入試に差し支える。だから、みんな積極的にボランティア活動をする。何もしないでは、先生が推せんしないのである。推せん書なしでは、決して良い大学へ入れない仕組みになっている。だから、社会のためにする、友だちのためにすることが、重要なのである。国の教育政策としても、大切なことだろう。それが、日本では価値をもたない。ほんとうの人間教育がない、ということになる。日本の教育改革は、ここを目標にすべきだし、青少年問題も、ここに視点を向けるべきである。(せんごく たもつ 日本青少年研究所長・臨時教育審議会専門委員)

 

(注)本論説は「青少年問題」昭和六十年十二月号に掲載されたものを筆者の了解により転載させていただいたものです。

 

〔参考〕

 

〔参考〕

 

臨教審で第二次答申を提出

 

〜去る四月二十四日、臨時教育審議会は総理大臣に第二次の審議結果を答申しました。以下、その骨子を紹介します。〜

 

【二十一世紀のための教育目標】

教育基本法の精神の創造的継承、発展。教育目標は、

1)ひろい心、すこやかな体、

ゆたかな創造カ

2)自由・自律と公共の精神

3)世界の中の日本人

 

【教育体系の再編】

生涯学習体系への移行を軸に学校中心から脱却し家庭、学校、社会が一体となった教育体系を総合的に再編成。

【初等中等教育】

小学校は読・書・算の基礎の習得、中学は個性に応じた教育、高校は能力・適性に応じた教育内容を多様化。徳育の充実。

【教員の資質向上】

新任教員に一年間の初任者研修制度創設。社会人活用で都道府県教委認定の特別免許状制度導入。

【いじめへの緊急対応】

いじめ早期発見・克服のためカウンセリング体制強化、指導主事の一定期間派遣。教委に相談窓口開設。警察など地域関係機関と連携。

【高等教育】

ユニバーシティ・カウンシル(大学審議会)の創立。優れた学生は学部三年修了で大学院へ。博士課程三年、修士課程一年に各修業年限短縮。二学期制採用と秋期入学の拡大。高専の「専科大学」への改称と分野拡大。

【教育行政】

学習指導要領の大綱化・明確化。教育委員会活性化のため教育長の任期制、専任化(市町村)と小規模教委の広域化。

 

 

 


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