教育福島0110号(1986年(S61)04月)-025page
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A君のこと
杉原葉子
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A君は、学校で勉強することを、とても苦手としている。苦手というよりは、嫌がっているという方が適切な表現かもしれない。
ただ、すべてが嫌いというわけではなくて、三つの教科、理科と体育と技術だけは好きである。
だから、言うまでもないのだが、成績は良くない。今、流行のことばを使えば、偏差値は低い水準にある。
そこで、彼の将来を心配する周囲の人々は、機会をみつけては「勉強」のことを話そうとする。
すると、彼は、いつもの柔和な表情を惜し気もなく捨て去り、非常に怖い目で相手をにらむ、という形で、話し合うことに拒絶の姿勢を示し、ちょっとしたすきをみつけて逃げ去ってしまうのである。
このようなA君には、もう一つの顔がある。
学年末を迎え、一年間お世話になった教室をきれいにしてあけ渡そうと、学級の構成メンバー全員で大掃除をやっていたときのこと、A君は、ほかの生徒たちとは違った行動をとっていたのである。
教室にある木製の教卓は、寄る年波には勝てず、だいぶ傷んでいたところがあったのだが、彼は、材料と道具を巧みに使いこなして、上手に修理をしたり、掲示板の裏がささくれだっているのをみつけては、ガムテープで貼り目も美しく裏打ちしたりしての大活躍であった。
このような、地道で、額に汗することをいとわない彼の行動には、この一年間、ただただ感心させられてきた。
次のようなこともあった。
教室にある水槽の壁面に、アオミドロがはびこっているのをみて、彼は、「先生、ここにタニシを一つ入れるといいよ」と言い、その翌日、自宅の近くの川からとったというタニシを持ってきて、水槽の中に入れると、確かにきれいになったのである。級友たちが驚いたのはいうまでもない。
あれこれ考えてみると、A君は、学校での「勉強」は好きでないにしても自分なりに、いつも生きた学習をしているのだと思うのである。特に、機械のことや生きもののことについては、活字のうえでの知識としてではなく、実践を伴った確かな力を、A君は身につけているのである。
ともすれば、学業成績が良く、部活動や生徒会活動などで、華やかな活動をする生徒は、人間的にも優れていると錯覚しがちな私にとって、A君の行動から教えられることが多い。
それにしても、中学校最上級生になったA君が、希望する進路に進むことができるよう、心をこめて「勉強」のことを話し合わなければと思うのだが、どのようにその機会をみつけるか、考えると頭が痛いこのごろである。
(会津高田町立第一中学校教諭)
ある画家との出合い
栗林秀樹
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校舎から那須の山々を仰ぐと、一面を覆って輝いていた雪も色あせて見える季節となった。
その那須野が原にある学校が私の最初の赴任校であった。当時、新採用教員は、社会のO、美術のS、そして私と三人であった。
約二十年も前のことであるが、歓迎会の日を今も鮮やかに覚えている。
和やかな歓迎会を終え誘われるままに何軒かの店を回り、最後は町の公園で酒びんを片手に車座になって先輩の先生を交じえて飲み明かしたものである。これが我々三人のスタートで、以来三羽烏などといわれた。
私は実家から通うつもりであったが、最初の年だけ下宿した。そこが三人の宿でもあったからたまらない。なにかといっては行動をともにすることが多かった。
Oは柔道部の顧問であった。生徒の行動に目のきくタイプで、生徒の人気も抜群であり、酒量も並外れであった。
Sの部屋にはいつも描きかけの絵があり、その絵は那須のごつごつした岩肌を描いたものが多かった。
絵に疎い私だが描きかけの絵を見ては論じ、批評したものだった。
「絵は自分の思想を背景にどう表現するか、そのための構想、構図が重要である」という彼の意見に、「私の学んだ数学に通ずるものがある。創造する点だ」などと若いがゆえに熱っぽい話をしたものである。
Sの作品の院展初入選は、我々にその価値を見い出せず「本人が喜んでいるのだからお祝いをしてやるか」とい
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