教育福島0110号(1986年(S61)04月)-027page
花に思う
岡崎伸子
今年は春の訪れが遅れたせいか、桜、桃、木蓮、水仙、タンポポ等々が一斉に花開き、冬が長く厳しかっただけに一層心を和ませてくれています。花はまた、様々な思い出につながるもので、花にふれて思う事も多いものです。
タンポポを見ると、長く小学校教員であった私は、一年生の黄色い帽子を思います。期待でふくらんだ大きなランドセルを背負ったタンポポたちが、校門に駆けて入ってきた時、しっかりと胸に抱きとめ、教師を選ぶことの出来ない子どもたちとの出会いの責任をずっしり重く感じた春を思い出します。
木蓮は、私自身の小学生の頃を思い出すなつかしい花です。白と紫のコントラストも鮮明な数本の木蓮のある校庭の端は、格好の遊び場であり、また、いじめっ子に追われて逃げ込む場所でもありました。そして、もうこれ以上逃げきれなくなって、弱虫の女の子が「先生に言ってやるから」と最後の切り札を投げつける場所でした。するといじめっ子は、たちまち塩をかけられたナメクジと化し、決まって退散したものです。私達の「先生」は、子どもからも父母からも信頼され「絶対」の存在だったことを思い出します。
これから五、六月にかけて咲く紫陽花は、ある一人の母親を思い出させる私の好きな花です。
六年の教室で開かれた懇談会で、子どもの問題行動が話題になった時、その母親が言った言葉が忘れられません。
「私は、自転車の二人乗りや、弱い者いじめを目にしたら、その場で大声で叱って止めさせています。他人の子だからといって遠慮しません。うちの子がどこかで悪い事をしたら、その場に居合わせた大人の誰かに、叱ってもらいたいからです。私は、自分の子が心配でたまりませんが、いつもついて歩いて教えるわけにいきませんから」
その時、ふと窓辺に目をやると、誰が持って来てくれたのか大ぶりの花瓶に紫陽花がさしてありました。私の視線を追って、その場のみんなの視線が紫陽花に集まりました。
「あじさいって、色も形も少しずつ違った小さな花の集まりなのね。それが調和のとれた大きな花をつくっているのね」
と誰かが言って、しばらくみんなで紫陽花を見つめていた雨の午後
地域社会の連帯感や、地域の教育力、あるいは家庭教育・学校教育・社会教育の連携等が話題となるたびに、私は紫陽花とこの時の母親の言葉を思い出すのです。
(県教育庁社会教育課社会教育主事)
子どもから学ぶ
大久保喜雄
私は、昭和五十九年度に言語障害児教育の長期研修に行かせて頂き、そこでN男と出合いました。N男は、大学の研究室に教育相談に来ていた発達の遅れた五歳の子どもでした。
今までに、小学校一、二年生の担任をしたことがあり、何とかうまくN男の指導ができるものと自信を持っておりました。
N男と初めて会った私は、笑顔でやさしくいろいろと働きかけをしてみましたが、N男はこれといった反応を示さず、自分勝手なことを次々としていました。プレールームで遊んでいても十五分ほどすると部屋を出てしまい、付添いの祖母の所に行ってしまいます。次回も同じでした。前もって立てた指導計画は、すべて役立ちませんでした。たった一人の子どもなのに、何一つかかわってやることのできない自分の無能さに情け無くなりました。
意気消沈し、指導教官に相談に行きました。先生は、笑いながら「君は、長いこと教員をしてきたので、教えることがすっかり身についている。教師であることをやめ、子どもに教えてもらうようにしなさい。子どもの本当の姿が見えてくれば、何をやればよいかがわかる。子どもを受容する中で、子どもが今してほしいことをつかむこと。子どもを心から好きになり、子どもに好かれなければ、何をやってもうまくいかない」というようなことを言われました。
N男をよく見ていると、何かをやりたがっていることや、わずかながら私に発信行為をしていることがわかってきました。N男から少し離れていて、N男のすることを認め、いやがらない程度にかかわっていくようにしました。