教育福島0110号(1986年(S61)04月)-028page

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私は、N男にとって「快」の存在となるように努めました。回を重ねるにつれ、少しずつプレールームで過ごす時間が長くなり、ボール投げ、ミニ自動車乗りなどいろいろと遊ぶようになってきました。運動能力の劣る子どもでしたが、廊下走りや散歩を好むこともわかってきました。こちらの働きかけに応じて遊んだり、笑顔であいさつができるようにもなりました。ときには、N男の意に反するような働きかけをしてしまい、N男が体をこわばらせ、パニック状態になることも何度かありました。

発育が相当遅れているN男でしたが、何かをやろうとする意欲はおう盛で、できることがいろいろあり、その子なりにいろいろな能力が伸びていることもわかってきました。子どもの伸びる芽を十分に伸ばしてやるための援助の大切さを学びました。また、N男とのかかわりを通して、教師が子どもから受け入れられ認められて、初めて本当の指導が可能であることを実感としてわかりました。

 

現在、ことばの教室で指導をしていますが、障害のみに目を向けることなく、子どもに援助できることは何かを考えながら、微力ですががんばっているところです。

(会津若松市立鶴城小学校教諭)

 

人づくり

 

深谷敬一

 

の秋、アメリカ中南部に位置するケンタッキー州を訪問した時のことである。

 

昭和五十七年の秋、アメリカ中南部に位置するケンタッキー州を訪問した時のことである。

馬とバーボン、リンカーンで知られ最近では、フライドチキンのCMで流れている「マイ・オールド・ケンタッキーホーム」の歌でも知られている所でもある。

 

我々一行は、更に南部特有の古い気質が残っている小さな田舎町「ボーリンググリーン」にも足をのばした。

当地は、一般の観光コースから遠く外れており、外国人の訪問も皆無に近く、数十年ぶりの我々の来町に対して町をあげての大歓迎を受けたのである。

町の入口には「ようこそ、日本の先生方」とネオンパネルを掲げ、マスコミが一斉に取り上げたのだが、我々の来町の目的は正確に伝わっておらず、新聞の見出しは「日本の退職された先生方、多数訪問」などと、めちゃくちゃな受けとめ方をされたのだが、一応日米親善の大役を果たすべく、笑顔と得意のボデーアクションで心の交流に努めたのである。

陽気で、屈託のない人柄には驚異も感じた。握手をした時から旧知の友人であるかのように振る舞う姿を見て、我々は酒でも飲まない限り、この様な仕草はとてもできる訳がないと何度も感じたのである。

この豊かな人間性はどのようにして身につけられたのだろうかと疑問を抱きながら学校を訪問した。

始業前、我々と歓談していた子どもたちが、始業の合図とともに無言で席に着き先生の話に耳を傾ける姿には驚きを感じた。先生の顔を凝視する子、友だちの話を途中で遮ることをしない子、他の意見を聞いてから自分の考えを発表する子……。

すかさず我々が得意とする質問攻勢が始まった。

「学校では、このような学習訓練に力を入れているのか」の問いに、答えは「ノー」であった。これらの基本的な躾は家庭で行うものであり、人間形成の初期の段階で、親が手本となって厳しく育成しているとのことであった。

親は、子どもの人格を十分に尊重し、将来において国家に対して貢献できる人間を育てていくことが教育であると考えており、そのためには「人には愛情と尊敬の心で接し、自分の義務は責任をもって果たすことの大切さを教えていくべきである」と言い切っていた。

これらの一貫した、家庭と学校の考えが「人間味ある人づくり」への基盤になっていることがうかがわれた。

知育が重視されがちな日本の現状をもう一度振り返り、徳育の重要性を考える必要があるのではなかろうか。

当地の小学校六年の社会の授業を参観した際「日本という国から連想することは」の問いに「着物、草履、切腹、庭、中国」等の反応が出て、我々に、「ショック」を与えたのも事実であった。

 

(天栄村立牧本小学校教諭)

 

楽しい運動会

楽しい運動会

 

 

 


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