教育福島0111号(1986年(S61)06月)-029page
粘土を追って
山田恒人
発見は偶然を伴うことが多いといわれるが、本当だろうか。
前任地の月舘中学校のグランドには久保田遺跡がある。土手を掘れば土器片がみられる。本物を見るのは初めてなので大変興味があった。
クラブ活動の時間に民話の主人公を民芸品風に創作することになった。主人公には町で最も良く知られている、"小手姫"伝説をモデルにすることにした。そこで、製作は土器からのヒントで、縄文時代の野焼きに挑戦することにした。
月舘は阿武隈山地の北端に位置し、カコウ岩の岩盤の上にできた町である。このような土地では粘土らしい土を十分集めることはむずかしい。
しかし、先徒たちと私は、一応、町にみられる土器は近くの粘土を使ったと予想した。粘土探しが続けられた。
五十九年六月、中体連県北大会を前にして、小手小学校前のグランドで練習をしていたソフトボール部員が、一足先に帰っていた私に、ビニール袋に入った土をみせて、『これどうですか』と言う。私は、袋の中の土を握ってみた。『これはいけそうだ』と言うと、いっせいに歓声が上がった。生徒たちは、粘土を見付けてきたのである。
粘土発見のきっかけは、練習の疲れをいやすために小学校前の土手下に腰をおろし、おしゃべり中に足元の土に手をふれていた一人が『これねばっこい土だ』といったことからである。
後日この土は安達太良火山による地層であることがわかった。
報告にきたソフトボール部員は、たまたま私のクラブ員であったことから、ふとした手ざわりの中で、粘土という言葉が脳裏をかすめたことがこの発見につながったのだろう。
粘土は試し焼きによって、約五百度Cからレンガ色に発色し、約六百度Cから見事な色がでることもわかった。その後、 "小手姫"人形の試作も粘土に不自由することなく取りくむことができた。
一クラブの取りくみが、町の公民館活動として引き継がれ『小手姫人形づくり』として今も続けられている。
粘土の仕事は、生徒と共に成長してきたが、素手で土にふれる楽しみや、人形を通して郷土の思い出となることを願っている。過去二回ほど公民館の活動として小学生と共に活動して、これほど集中できるものがあるかと思うほどの熱心な取りくみをみて、心暖まる思いをしたものである……。
この粘土を、縄文人が使ったかどうかは定かではないが、これは偶然の発見に入るのだろうか。
(福島市立北信中学校教諭)
「小手姫人形」の野焼き制作に挑戦
思い出と健康
猪狩勝雄
新しい年度の教育活動が、フレッシュな旅立ちの新採用の先生方も加わって展開されている。新採用の先生方の元気な姿を見ると自分の新卒時代を懐かしく思い出される。
私が教員になったのは昭和二十五年であった。この年の新採用者はへき地校の振興という県教育委員会の方針で多くの新卒者がへき地校に着任した。私もへき地校が初赴任地であった。生徒たちの澄んだ瞳、人なつこい姿、そして中学生でありながら私にまつわりつく生徒たちに囲まれたとき「先生になってよかった」という実感にひたったものである。そして、恵まれたことには、私の赴任校には優秀な先輩の先生方がそろっていて、火鉢を囲んでの教育談義、夕食に招待されての教員としての心構えなどについての忠告や指導は私の教員生活の支えとなり、ある