教育福島0112号(1986年(S61)07月)-007page

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提言

 

近年、レジャーブームで、家族や団体で旅する機会が多くなって来ており、また、自然に親しもうという呼びかけから、様々な行事が持たれており、或る意味では望ましいことだと思いながらも、一方で少なからぬ懸念をも感じている。

というのは、自然を単なる行楽の場としかとらえていないのではないかという想いである。

公園・山林・渓谷など、人々の去ったあとに残されるおびただしい量のごみを見たり、都会の人々が山菜や野草を採取に入った山林には、例えば、丸坊主になり枝まで切り取られた「たらのき」が残り、珍しい植物はその姿が見られなくなるといったことも少くないと聞くと、これらの人々が、本当に自然に親しむ、自然を愛する気持ちがあるのかと考えさせられる。

かつて、農山村の人々は、山の幸を与えていただけることを神に謝し、翌年も採らしてもらえるようにと、木や草を根こそぎにすることはなかったと聞いている。

このことは、自然の恵みとともに、自然の厳しさ、偉大さを肌で感じ、自然の中での生活から得た「智恵」であり、自然を愛すると共に、それをおそれる「畏敬の念」を持っていたからだと思われる。

自然は美しく、人間に多くの恵みを与えていることは事実であるが、時に人力・人智では如何ともし難い厳しさを示すものであり、一旦バランスを失えば再生不能な、まさに、かけがえのないものなのだということを、学校教育、社会教育、家庭教育を問わず人々に認識させる必要を感じている。

中学生を引率しキャンプに行っていたが、或る年、初日から雨に見舞われ、まわりは泥田のようになり、雨もりもはげしく、炊事も思うにまかせず、三日間の予定を切り上げ、二日目の朝撤退したことがあった。後日、反省記録の中に「一晩で中止したのは残念であったが、自然の厳しさを体験できたことは良かった」という意味のものが多く、嬉しく思ったこともあった。

自然の大きさ、美しさ、厳しさなどを、素直に感じとる心を持つ小中学生の時期には、特にこのことを心して指導に当たりたいと思うし、世の大人にも十分考えてほしいと思っている。

 

自然を愛する心を育む(福島一中・キャンプ活動より)

自然を愛する心を育む(福島一中・キャンプ活動より)

 

 

 


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