教育福島0112号(1986年(S61)07月)-023page
随想 ずいそう
雪の山野を
田中國夫
夏に雪の話はどうかと思うが、私は夏休みを迎えるころになると、来る雪の季節への思いが膨らんでくる。私にとっての雪は、自然との闘いといった生活上の苦難をさておき、愛着すら感じるクリスマスの豪華なプレゼントのようなものである。
夏休みが終わるころの書店には、シーズン第一号のスキー雑誌が発売され板・靴・ビンディング・ウェアなどの新用具が紹介されている。私は例年のごとく数多いこのカタログに目を通すのだが、経済上、一昔前の用具を今だに愛用している。
スキー人口はやむことなく増加し、スキー場は年ごとに新設される。ゲレンデスキーは、今や冬のレジャーとしてスポーツとして欠かせないものとなっている。しかし、日曜日のあのリフト待ちにはうんざりしてしまう。
そこで、昨シーズンから歩くスキーを始めてみた。目的によって、歩くスキー・ジョギングスキー・ラングラウフスキー・クロスカントリースキーといった呼び名で区分されている。職場にもゲレンデスキーの仲間は多いが、歩くスキーの愛好者はいない。その理由に用具や技術の問題もあろう。しかし、用具はゲレンデスキーよりもずっと安価であるし、技術は競技でないかぎり特に必要としない。数年前からノーワックスソールのスキーが開発され素人には難しいワックス技術の心配もない。家の周りを、田畑を、林の中を、雪さえあればいつでもどこでも楽しむことができる。日曜日にはナップザックにおにぎりと麦茶を詰めて山野を走る。歩く。青い空に白銀の世界が美しい。時には野うさぎの跳ねる光景を見ることもできる。
教職三年目の学校で、初めて距離競技用のこのスキーを見た。細くて軽くて踵が上がる。ワックスに失敗すると雪下駄のようになって一歩も先に進めない。
子どもたちと毎日のように走り回った懐かしい思い出がある。大会のための練習であったので、冬休みは元旦だけは休んで吹雪の日も走った。父兄からお叱りを受けたが、「勝ちたいので」と言って続けた。そのころ担任していた生徒の中に、中学・高校とメキメキと力をつけ、インターハイニ年連続優勝を果たした女子選手があり特に印象深い。青春のすべてを雪の山野にかけたM子は、今、何事もなかったように雪のない他県に嫁ぎ、二人の子を持つ母親となっている。時には、吹雪の中、落葉樹の林、こだまする吐息、栄光のメダル、そんな夢を見ることもあるのだろうか。
さて、昨シーズン、一年生の娘に歩くスキーを与えた。喜び勇んだ娘を雪山に連れ出したが、「うまくできない」と言って二度と「連れてって!」とは言わなかった。いっか家族で雪の山野を楽しめる日も来るであろう。私の雪の季節への思いはどうやらやみそうもない。 (白河市立白河第三小学校教諭)
幼児とのふれあい
大平和子
ある年の入園式で、奇声を発するだけで言葉をもたないY君に出合った。入園後も依然として奇声を発するだけのY君に、他の園児たちは強い恐怖心をいだき、遠くからながめているだけだった。
私は、Y君が「言葉を使えるようにすること」「他の園児と遊べるようにすること」の二点に重点をおいて指導にあたるよう心がけた。
はじめに、Y君をよく知ってもらうために、園児の遊びの中に近づけてみた。しかし、園児たちは快く受け入れてはくれなかった。Y君の指導に手をやく保育者としてのあせりを、園児たちは敏感に受けとめていたように思う。
そこで、私もY君を特別扱いせずに他の園児と同じように接するようにした。すると、私にもゆとりがでて、Y君の目の動きや表情で彼が何を訴えて