教育福島0112号(1986年(S61)07月)-025page
子ども
−自分を写し出す鏡−
小野敏幸
「静かにしろ。何回言ったらわかるんだ」
現在の学級の担任になったばかりのころ、私はよく、教室どころか学校中にまでひびきわたるような声で、子どもをしかっていました。はじめのうちは大声を出す度に反省もしました。でも、そのうち慣れてきてしまい、こんな学級を受け持つんだから、少しくらい大きな声でしからなくてはやっていけないさ、とさえ思うようになってしまいました。
そんなある日の出来事です。その日、授業開始のチャイムが鳴り終わっても教室内がざわついていました。日直のK君が、私もびっくりするくらいの大きな声で、「静かにしろ」と言うのです。たちまちS君が言い返します。「そんな大きな声で言わなくてもいいじゃないか」「なんだって」と再びK君も言い返し、二人はあっという間に大きな声で、言い争いを始めました。
そんな光景を見ていた私は、子どもとはいえみっともないな、と思いました。しかし、次の瞬間、がく然としてしまいました。その時私は、K君とS君の中に、まぎれもない自分自身の姿を見い出したからです。
子どもは、担任の人柄を正直に反映するのだなと、その時思いました。担任の言動は、子どもの言動に大きな影響を与えるものであり、子どもの姿は、そのまま担任自身の姿のように思えてなりません。
例えば、教師がだらけていたり、気持ちがしずんでいて余裕がなかったりする時、子どもは教師の意図したようには動きません。それどころか逆に子どもの言動にふりまわされてしまいがちです。こうなると、必要以上に子どものなにげないひと言が気になったり、いらいらして大声で子どもをしかってみたりして、ますます子どもの心ははなれていってしまいます。
反対に、教師が心から子どものことを思い、は?りつとして余裕を持って子どもに接する時、子どもは比較的教師の意図したように動くようです。こうなると、子どもの言動もよい意味に受け取れるし、大声で子どもをしかることもなく、学級のふんい気はとてもよくなるように思います。まさに、子どもは教師自身の鏡なのだなあという気がします。
人は鏡を見て化粧をしたり、身だしなみを整えたりします。自分もまた、絶えず子どもという鏡を見て、教師としての心の身だしなみを整えていかなければならないと思います。
教職三年目を迎えて、こんなことを考えながら、子どもに接している今日このごろです。(石川町立中谷第二小学校教諭)
雪うさぎ
竹之下道 子
「道子さん、すぐ帰りますか?ちょうと上がって下さい。見せたい物があります」
娘を迎えに行った私に笑顔でそう言うなりキミばあちゃん(娘を預かってくれている子守さんで、また私たち夫婦の仲人さん)は、台所の冷蔵庫の戸をパタンと閉めると両手になにか大切そうに乗せて来ました。
それは、白い大きな西洋皿の上にちょこんとすわっている雪うさぎでした。赤い南天の実が、まるで本物のうさぎの目のように愛らしく、南天の葉の二つの耳は、今にも取れそうに見えましたが、鮮やかな緑色は、うさぎの白い体をくっきり浮き立たせていました。
蛍光燈の光に照らされながら、キラキラ光る雪うさぎは、キミばあちゃんと娘の愛が一緒に作ったもので、午前十時ごろから私の帰りを冷蔵庫の中でずっと待っていたということでした。
時計が、七時をかなりまわっていましたので心からのお礼を言い、娘を
▲愛ちゃんといっしょに……