教育福島0112号(1986年(S61)07月)-027page
父の教え
相楽美奈子
いつものように、父は仕事場で洋服を縫っている。見知らぬ客が店に入ってくる。
客「すみません。このズボンのほころび適当に直してくれませんか」
父「はい」
客「それじゃ、お願いします」
このようなやりとりの後、父は必ず機嫌が悪くなる。ちょっとした事でも怒り出すため、家族全員その日は一日中静かにしていたものであった。
父は、ほころびの直しやチャックの交換でも、その仕事の最高の物を創り出そうと考えている紳士服専門の洋服仕立て業であった。それゆえ、その誇りを逆なでするような言葉を言われるのは侮辱されたように思っていたのかもしれない。この職人気質の父は、私にとって偉大な牧師でもあった。
今から約二十年前(私は当時五才)幼稚園の授業参観で笛の授業がおこなわれた。ひとりずつ順番にチューリップの歌を吹いていった。ほとんどの子どもたちは、何の問題もなく吹いていた。しかし、私は『さいた、さいた』までしか吹けなかった。その結果、できない人は床にすわらせられ、笛のかわりにトライアングルが与えられた。四十人程の中でできなかったのは私を含め四人位であった。父は非常に大きな衝撃をうけたに違いない。その後すぐに父の笛の練習がはじまった。近所の同じ幼稚園へ通っている男の子に笛の吹き方を真剣に習った。男の子の母親もみている前で父は汗をかきながら小さな笛を大きな指で押さえ何度も吹いていた。その姿を想像するたびに、私は感謝の気持ちでいっぱいになる。
何かを教えようと思ったら、まず自分が実際におこなってみる。たとえ、できなくてもあきらめずに努力する。
このことを父から学ぶことができたのは、何よりの財産であると思っている。
約十年前、父は洋服仕立て業を廃業することになってしまった。今は、小さな縫製会社で裁断を担当している。父の仕事が、安さ・速さが売り物の既製品におされてしまったのは、とても残念である。しかし、父の生き方を今度は私が教育の中で大事に育てていきたいと思っている。
今年度は、小学一年生を三名受け持つことになった。毎日、失敗ばかりであるが、教えることの本当のプロになれるようにたえず努力し、かつ、子どもと同じ立場でいっしょに勉強したり、遊んだりできる教師になりたいと強く心に念じている。 (県立富岡養護学校教諭)
▲父の教えをこの子たちへ
日々を子どもとともに
渡部恵志
四月一日「耶麻郡西会津町立西会津中学校教諭に補する」の辞令をいただき、会津の西端にある本校に着任してから、二か月があっという間に過ぎてしまいました。
本校は、西会津町の中心に位置し、北東に飯豊山を望み、阿賀川の清流を目の前にしたすばらしい環境に恵まれた、七学級生徒数二百五十六名の伝統ある学校です。
私は、一年二組三十九名の担任ですが、この生徒たちが親しみを体いっぱいに表わして「先生」と呼んでくれた最初のことばは、今も脳裏に焼きつき忘れることができません。
一年生二学級の理科と一、二、三年全学年の美術を担当して、悪戦苦闘している毎日ですが、授業を通して全校生徒に接することができることは、教材研究や授業の準備の面では容易であ