教育福島0112号(1986年(S61)07月)-030page

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教師としての原風景

 

猪狩利一

 

度尾瀬を訪れているが、また行ってみたいという気持ちをこの歌がかきたてる。

 

〈夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空〉日本が世界に誇る高層湿原・尾瀬に今年も水芭蕉の季節がやって来る。私も二度尾瀬を訪れているが、また行ってみたいという気持ちをこの歌がかきたてる。

なぜこんなにも郷愁を誘うのか。たくさんの人々が遠い山道を苦にもしないで尾瀬に入るのかという問いに対してこんな答えがある。それは尾瀬が日本人にとっての原風景であるからだと豊葦原瑞穂国と呼ばれた古代の日本、また私たちの祖先が愛してやまなかった日本三景にも共通する豊かな水と緑によって構成される風景がそこにはある。祖先の脳裏に記号として刻みこまれた感性は幾千の世代を経て私たちの中にも流れているのかもしれない。

さて、私の教師としての原風景は、〈はるかな西山 遠い空〉ということになる。私が新米教師として雪解けのぬかる道を前日買ったばかりのゴム長靴を頼りに西山の地に足を踏み入れたのは昭和四十八年四月のことである。西山−河沼郡柳津町西山地区は当時、戸数五百戸、人口二千人ほどの山間の村である。そのほぼ中央砂子原の地に会津農林高校西山分校はあった。戦後の教育改革の一つの理想であった機会均等を具現していたが、その役割を果たしたとして募集停止が決定し、最後の新入生十六名を迎えようとしていた。この時の私は恥ずかしいほど何も知らなかった。会津の地理、分校の存在、昼間定時制という制度そのものすら知らなかった。まず授業、専門外の教科も含めて八つの教科目をかかえて右往左往していた。部活動は野球部、軟式ではあったが定通大会をめざして練習に励んでいた。ところが長年スポーツと縁のなかった私はルールも満足に知らず、ノックもできなかった。

生徒指導についても冷汗の出るようなこともあった。私が担任したクラスの男子二名が放課を待たずに教室を抜け出した。町に出かけたらしく机にはカバンだけが残っている。私はカバンがあるのだからそのうちに帰って来るのだろうぐらいに考えていた。夕方彼らは帰って来て、指導担当のT先生に厳重な指導を受けた。私はこんな時の生徒の叱り方もわからないでいた。全く無知、無能な新米教師だった。

そんな私を生徒たちは「先生」と呼んでくれた。授業でも、放課後の活動でも素直な反応を示してくれた。非行などとはおよそ無縁で、よく学び、よく働きそしてよく話をしてくれた。村のこと、家族のこと、学校のこと、仕事のこと、将来のこと。結局私は彼らに教えられていた。

先輩の先生方は分校長をはじめ皆会津出身の人で、浜からやって来た若い私を公私ともにめんどうを見てくれた何か行事があるたびに私を自宅に招いてくれた。また同じ旅館に下宿し、一つの校庭を共用していた小学校・中学校の先生方、村の大人たち、子どもたち、分校の卒業生でもある青年団の面々と多くの人々に囲まれ、恵まれて教師としての私は西山で生まれ、育てられた。

加えて、会津の自然にはめりはりがある。鮮やかな四季の変化がある。水芭蕉の花はY先生のお寺の池にも、田んぼの畔にさえ咲いていた。

四年後、分校は閉校となった。跡地に建てられた記念碑を除いて校舎は何も残っていない。だが人も自然も私の教師としての原風景となり、いつでも取り出せる記号となって私の脳裏に刻みこまれている。(県立小名浜水産高等学校教諭)

 

ストップ・ザ・食中毒

 

ストップ・ザ・食中毒

 

県教委では、昨年度の食中毒の発生の反省をふまえ、食中毒防止のキャンペーン中でありますが、今般、二本松管内で食中毒様事件が発生いたしました。もう一度各学校や給食施設等では基本的な衛生管理に注意をし、身近な問題としてとらえ次の点に注意いたしましょう。

 

一、調理室及び調理器具の衛生に注意しましょう。

 

二、食べる人も、作る人も手洗い等の基本的な衛生に心がけ、実施いたしましょう。

 

三、食品の取扱いに十分注意をし、加熱すべきものはキチンと加熱しましょう。

 

 

 


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