教育福島0113号(1986年(S61)08月)-013page

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○ 児童生徒の意欲を誘発させるに適切な教材の開発、提示の仕方等を十分工夫すること。

2)成就感、達成感の体得

「わかった」「できた」等の喜びがなければ、学習意欲にはつながらない。したがって、すべての児童生徒にも成就感、達成感を持たせることができるように配慮しなければならない。そして、この体験が次の問題解決の際のバネとなり、積極的に取り組む力となることを確認したい。

3)認められたい欲求の重視

教師や学級集団から認められたいという児童生徒の内面的な願いに適切に応えてやることは、児童生徒の学習意欲をひき起こさせるうえで重要である。

これには、教師の姿勢が何といっても大切である。児童生徒一人一人への気くばり、目くばり、手くばりなどを適宜行い、賞賛や激励、あるいは戒めの言葉や厳しい指導や助言をしていくことである。

(2) 学習の仕方の学習

主体的な学習が成立するためには、児童生徒が「学習の仕方」を身につけていなければならない。そして、教師は、学習の仕方を児童生徒の発達段階に応じて発展的、系統的に積み上げていく配慮が大切である。

例えば、小学校の一年生であれば、当然、授業中のきまりや約束ごとを身につけさせる必要があるが、二年生になれば、学習のめあてをつかみ、自分から積極的に取り組んでいけるようなある程度の学習の順序立てができるようになっていることが望ましい。

ここでいう学習の仕方とは、「学ぶ力」をつけさせるための学習の手順や方法などである。ともすると、教師が教え込むための学習訓練、例えば「挙手の仕方」「起立の仕方」「返事の仕方」等と短絡的に考えがちであるが、ここで考えたいことは、児童生徒が自ら学んでいくための学習の在り方である。

1)学習の手順の学習

「学習の仕方」の学習には、まず、どんな順序で学習すればよいかという「手順」にかかわるものがある。

例えば、理科の学習では、児童生徒に問題意識が高まり、課題が設定されたとき、観察や実験をするか、情報収集をするかなど、どこから切り込んで、どのような手順で結論まで到達するかの筋道が立てられる。このような手順が学習の仕方である。

これは、授業の過程とおおよそ合致しており、場合によっては、基本的な「手順」を板書やプリントで示してやることも良策の一つである。しかし、それに固執したり、型にはめてしまったりしないよう柔軟な対応に留意する必要がある。

2)学習の方法の学習

児童生徒が主体的に学習するためには、学習内容についての分析の仕方、操作の仕方、動作の仕方、見方や考え方など、思考の仕方が重要な意味をもってくる。

例えば、社会科の歴史的事象についての学習においては、「いつ、どこで、だれが、何を、なぜ、どのようにして」などの観点で分析していくことである。

教師は、児童生徒の発達段階に即して、学習の手順や方法を計画的・意図的に位置づけ、指導を積み重ねることによって自ら課題を解決していく力を育成していくよう配慮することが大切である。

(3) 主体的な活動の場の設定

児童生徒が主体的に学習が展開できるようにするには、時間的にゆとりをもたせ、十分活動できる場を設定することが大切である。

そのためには、まず教師は、教科の本質に基づいて指導の目標を具体的にし、その目標に即して指導すべき内容を基礎的・基本的内容に精選して、指導計画を立案する必要がある。

授業中に活動の場を設定するときは、次の点に留意する必要がある。

ア 一単位時間の中に、中心となる活動をまず一つだけ明確におさえて、時間を十分にとる。教師側の動機づけの指導に多くの時間をかけ過ぎて、児童生徒側の本来的な活動が不足しないようにすること。

イ 目標を明確におさえ、活動の方法を十分にとらえさせたうえで活動に取り組ませるようにすること。

ウ 本時のまとめ段階の指導では、整理の作業を通しながら児童生徒一人一人のまとめになっていくようにすること。

(4) 主体性を支える学習環境

日常の友人同志の会話は、極めて活発なのに、授業では、高学年になるにしたがい発言力が低下する傾向にある現状を厳しく受けとめる必要がある。何が発言意欲を低下させているのか、教師はその原因をとらえ、除去する努力を続けなければならない。

教育を支えるものは、「教える者と教えられる者との間の人間的信頼関係にある」とは、よく言われることである。まず、教師自身、次のことを反省してみることが大切である。

1)教育の本質的なこととして、学習の主体はあくまでも児童生徒にあるのであって、教師が教え込むことではない。できるだけ有効適切に教育の目標に向かって学習が進められるように助力することにあることを踏まえているか。

 

「学習は児童生徒が自分のために自分でしなければならないことなのだから主導権は児童生徒にある。教師は船を操る水先案内人てあるか船を推進する力は学習者に鯖わっていなけれはならない」。

 

2)児童生徒一人一人の存在感が認められるような配慮がなされているか。

 

 

 


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