教育福島0113号(1986年(S61)08月)-024page

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小さな体で、精一杯息づいている姿がある。自らの意志によらないことばかり強いられて縮んでいる姿がある。心から愛されたことがないため、つねにおどおどと人を見つめる子の姿がある。

だから、私は、私のできる限り、子どもたちを支え続けたいのである。

 

ベランダのひまわりは、みんなみんな太陽に向かって背伸びしている。こぼれ落ちて芽を出したひまわりも、雑草の中からたくましく空を仰いでいる。

折れかけたひまわりが、A子に拾われて花壇に植えかえられた。なん日か経って、子どもたちは驚いていた。茎が曲がってはいるけれど、どうだろう、すくっと天を突いて伸びている。

「先生、すごいね」

「よかったね」

伸びの差はあれ、環境の差はあれ、障害もあれども、成長のエネルギーのすばらしさに子どもたちは感動した。

今、感動して目を輝かせている子どもたち。この子どもたちもまた、そうした成長のエネルギーを持ったすばらしい存在であることを認めて教育をスタートさせよう。あとは、信じて、願いをこめて、時々の障害を乗り越えていけるように心を支え、励ましていこう。

そんなことを考えながら、ふと、K男の机を見る。すさんだ瞳に、子どもらしい明るさが宿り始めたK男。一年がかりで、この子と一緒に一つの山を越えられたことにしみじみと喜びを感じる。そういえば、「いい瞳の子がふえてきたなあ」と、学校の子どもたちの成長にも思いをはせる。私はこんな時、幸せを味わいつつ、子どもたちに生かされていることを思う。

“支えよう”としている子どもたちとの心のふれあいや成長の喜びに、逆に“支えられて”この道を歩んでいる自分を知る。

そんな思いにふけっていると、

「先生、どうしちゃったの」と、子どもがのぞき込んでくる。

私は、今後も“支える”この言葉を好んで使うであろう。この子どもたちに支えられて生きていることをかみしめながら。

(郡山市立金透小学校教諭)

 

高校訪問

菅野喜勝

 

なく、どの学校も鉄筋コンクリート造りに改築されて隔世の感がいたします。

 

仕事上、高校を訪問する機会が多いのですが、感じることは昔のような木造校舎はほとんどなく、どの学校も鉄筋コンクリート造りに改築されて隔世の感がいたします。

卒業以来、同窓会や同級会の案内の折りに思い出すくらいですっかり忘れていましたが、今年四月から教育庁勤務となり改めて思い起しているところです。

今では、高校進学率も高まり生徒数も多く、建物も大規模になりました。体育館、柔剣道場、プール、和室、部室等施設も充実して参りました。当然維持管理費も増大し、財政事情の厳しい折からこの対応に苦慮しているところです。

 

訪問先で、一番先に目に入るのはもちろん玄関ですが建物よりも庭の方に気が入ってしまうものです。

玄関前に、植栽事業など学校の顔となるようなものが、○○周年記念事業として同窓会の方々が中心となって進められているところが多いようです。潤いのある学校造りに奔走されている姿には頭のさがる思いがいたします。

また、生徒たちが花壇造りに精をだし、マリーゴールドやサルビアなどが鮮やかに咲いているのを見ると心が和みます。放課後一斉に庭に出て草むしりやグランドの手入れをしている姿は清々しくたのもしくもあります。

先輩から引き継いだものをまた後輩に引き継く、このような積み重ねが伝統となって形づくられるものなのでしょう。

私の通った高校も今は郊外に移転し、新しい校舎は建物や設備がデラックスになり、グランドも広くなりました。

環境に恵まれ生徒たちものびのびと活気にあふれている様子でしたが、私の青春時代も遠くなったものだと、昔を偲ぶもののない近代校舎をまぶしく眺めてきました。

自分がここで学んだという、何か手掛かりのようなものがあればと思います。石碑でも庭木でもよい、確認できるものがあれば、建物が改築されていても実感が湧いてくると思います。

新しい体育館やプールが建設されてゆくとき、敷地の都合で建物など取り壊さなければならないものがあるようですが、その学校を特色づけるものや思い出に残るようなものはできるだけ残し、卒業してから何年か過ぎた後、自分たちが学んだ学校を懐かしみ実感できるように大切にしてゆきたいものです。

(県教育庁財務課主任主査兼施設係長)

 

 

 

 

 


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