教育福島0113号(1986年(S61)08月)-026page

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高校生のころとは違い、遅刻しないで毎日会社に行っていること、慣れない仕事をして帰るので夕食を食べずに寝てしまうこともあり、むごくて仕様がないこと、月給でクシを買ってもらったことなどいろいろです。お婆さんの話に合槌を打ちながら私は過去三年間、このお婆さんが示してきた孫息子に対するひたむきな「献身」を思い出していました。

この孫息子、既に中学時代からいろいろないたずらを重ねてきたいわくつきの生徒でした。隣近所からはもとより地元のお巡りさんからもいろいろな意味で注目されていた子どもでした。高校入学後も相変わらずで、当然家庭訪問の回数も増え、電話連絡の必要も重なってきます。彼の両親はもちろん両方共居るのですが不規則な共稼ぎのため、私の話し相手はもっぱら留守をあずかるこのお婆さんになることが多くなりました。孫の非を詫びて訪問者の前に両手をついて涙を流すことも二度や三度ではありませんでした。しかし私はこのお婆さんを最初はなかなか好きにはなれませんでした。よくウソをつくからです。朝学校に姿を見せないとき家に電話をするとお婆さんが出て孫をかばい、言い訳をし、アリバイ作りをしてきました。事実と違うことをもっともらしく言ってきたものです。孫息子の方も彼女を隠れみのとして巧みに利用し私の目から逃れてきました。

しかしながら、このお婆さんの話すことはウソが多いと警戒しながらも、私はだんだんそれらのウソが気にならなくなってきました。恥も外聞もなく、ただただ孫息子のために良かれと信じて、彼の不始末を取り繕うとするお婆さんの姿に、言葉では言い表わせない一種の感動を覚えるようになったからです。失敗を重ねる彼がとにかく卒業することができたのは、お婆さんのおかげによるところが大きいのは確かです。卒業式を間近にして彼は私に告白したものです。

「婆ちゃんには頭が上がんね」と。

教師が「指導」の名で彼に与えようとしたものよりも、お婆さんの「ウソ」は彼の中に入り込み、彼を見事にコントロールしたのです。だから彼はお婆さんにクシを買ったのでしょう。

 

二本松駅までの車中、おかげで退屈することもなく、むしろほのぼのとした気分に充たされ、美酒にありつくことができたわけです。

(県立安達東高等学校教諭)

 

子どもとともに

 

子どもとともに

吉田恵美

 

ぱいの顔に変わり、スタートの合図も待ちきれぬほどの勢いで走り出します。

 

分校の朝は、ラジオ体操とマラソンで始まります。合図の放送とともに、元気な子どもたちがわれ先にと校庭に流れ出ます。最初のラジオ体操のわずか三分間は、子どもたちと私とのおはようタイムであり、朝の健康観察の時間でもあります。視線がピタッと合って微笑む顔、かっこよく体操をしょうと頑張っている顔、きのうの疲れがぬけきらず大きなあくびをしている顔。実にさま、さまな出会いがあります。でも、スタートラインに立つころは、今日は何番の順位ふだがもらえるかな、とファイトいっぱいの顔に変わり、スタートの合図も待ちきれぬほどの勢いで走り出します。

マラソンが始まったばかりの五月当初、一位はいつもわがクラス。思わず飛び上がって喜ぶのもっかの間、実は最下位もわが二年生なのです。一位はいいとして、連日の最下位の彼は、足が痛い、のどが痛いと、いろいろな口実を考えてはマラソンを休もうとするようになっていくのです。私は、この彼を、どう応援すればいいのか、何と声をかけてあげればいいのか、焦る気持ちをおさえながらただひたすら、一緒に走り、一緒に汗を流し、「頑張れ」「ほら、もうすぐ追いつくよ」「もっと腕を振って」と、ごくありきたりの言葉をかけてあげることしかできませんでした。

ところが、いつのころからか、最下位の彼の走り方が変わってきたのです。それまでだらんと伸びていた脚は、しっかり前後運動をし、引きずっていた重い足は、一定の軽いリズムにのり、

 

全校生による朝のマラソン

全校生による朝のマラソン

 

 

 


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