教育福島0113号(1986年(S61)08月)-028page
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別れの授業
鈴木英俊
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今日は、一年間物理を担当してきた三年農業土木科の最後の授業である。
教科書、指導用ノート、チョーク箱、教務手帳、出席簿を携えて、始業ベルの合図とともに凍てつくような冷気の流れる廊下に出た。
教室までの二、三分間、私の心はいつもとは違った緊張感でピンと張り詰めていた。新採用として本校に赴任し、生徒たちの前で自己紹介をした時以来の、いやそれ以上かも知れない極度の緊張である。
ガタッ、ガタッ。腰に力を入れ、独特の技術と瞬発力を発揮して戸を開けた。
「さて、今日はいよいよ最後だネ」といいながら出席簿を開いた。その時突然「先生、今日はオレに解かせてください」と、比較的後方に位置しているAという生徒が名のり出た。まったく意表を突かれた感じだ。このクラスには、彼よりはるかに優秀な者が何人かいる。当然のことながら、生徒たちの間では、お互いの物理に対する力を知っている。そんな中での唐突なことばであっただけに、一瞬あっけにとられたような空気が流れた。私は、彼の積極的というよりはむしろ勇気ある態度がとてもうれしかった。この一年間、予習をしてくる生徒はほとんどいなかったが、彼の予習は、完壁に近かった。
彼が引き金役になって、次々とバトンタッチがなされ、私が名指す必要はまったくなかった。時間に制限があるので、できるだけ手際よく授業を進め、卒業後のことや、一年間の反省に切りかえた。
時間は過ぎてゆく。残りの時間があと十分足らずになってしまった。どの生徒が、どんなことを話してくれるだろうかと、ますます過ぎゆく時間とともに気になった。口火を切ったのは、今度はBである。
「先生、最初の頃はオレたちとほとんど歳が違わないくせに、生意気にオレたちに説教しやがるいやなヤツだと思ったから、先生のこと無視して騒いでいたんだ。だけどオレが考え直したのは、先生がオレたちのこんな態度にもめげず、オレたちを良くしようとして言っていることに気づいたからなんだ。先生、縁があったら、また教えてよ。一年間どうもナ」
彼は一礼して座った。
訥々と、しかも最後には教師としては新前の私に、律義にも感謝の言葉で結んだのに驚き、生徒の彼により一層の親近感さえ覚えた。そして、何よりもうれしかったのは、常々抱いている私の気持ちが、生徒の心に伝わっていてくれたことである。教師の道を歩み始めたばかりの私が、教師でなければ味わうことのできないであろうこの上ない喜びを、この生徒の言葉によって感じることができたのである。
彼のあとに立って発言した生徒たちの言葉も、だいだいこのようなものであった。最後の授業を、こうして生徒とともにほのぼのとした暖かい雰囲気の中で終了できたことにホッとして廊下に出た私には、先程の緊張感がウソのように思われてならなかった。
(県立双葉農業高等学校教諭)
シートベルト着用推進運動
(8月1〜9月20日)
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ある一日
細川利喜衛
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「あら先生、どこへ行って来られたの」「先生の家に何回も電話したのに通じなくて」「先生ちっとも変らない」「今の学校どう?」駅ホームでの立ち話。六月中旬、ある日の出来事である。四月の人事異動でW校から去る日、彼女らは目にいっぱいの涙をため、精いっぱい別れの挨拶をしてくれたのであるが、つい逢いたくなって訪問したとのこと、なんだか申し訳なくて後日を約して駅頭を後にした。
常日ごろ生徒指導に多忙を極め、今の生徒は、今の子どもはとついぐちも出る毎日なのだが、こういう場面に会うとホットするのは私だけではあるまい。生徒たちの笑顔に囲まれたときほど「教師になってよかったなあ」と思うのである。
夜、九時けたたましく鳴る電話のベル。「先生、わかりますか」向こうか
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