教育福島0114号(1986年(S61)09月)-023page

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I先生とサンショウウオ

湯 田 健 一

 

学校理科部の先生方が中心になって活動している「野外観察同好会」がある。

 

郡内の中学校理科部の先生方が中心になって活動している「野外観察同好会」がある。

月に一度、土曜日の午後に郡内のあちこちを散策することが主な活動であり、野草を中心に、地質・動物なども観察の範囲に入れている。

六年前に発足した会員三十名ほどの会であるが、私もその一員として得難い経験をさせてもらっている。

『とにかく、気楽なのがいい。のんびり歩けるのがいい。山道、樹木、草花がある。ポケット図鑑をめくるゆとりもたっぷりある。植物名を知りたければ、その道の権威者が即座に答えてくれる』

『続けて同じ野や山を訪れても、自然は、その度に、新しい発見の喜びや楽しさを与えてくれる』

『土曜日の観察会の朝、車のトランクにナップザックと山靴を入れる時は心がおどる』……などなどの会員の声が多く聞ける。

私個人としても、この観察会に参加することで、教材の収集はもとより、人間としての生き方等、広く学び教えられている。

 

昨年の春、K町に出かけた時のこと。I先生が近くの沢に足を踏み入れたとたん、その沢の水がパシャパシャと音をたてた。初めは、オタマジャクシかなと思ったが、よく見るとなんとサンショウウオの子である。1先生は、生態研究のためそれを数匹すくって家に持ち帰り、秋まで飼育観察を続けることにした。観察はともかく、えさを探す苦労は並大抵ではなかったようだ。

「頭でっかちのサンショウウオの子は、人間の赤ん坊を連想させる、かわいいものだ」と話していたが……。このまま死なせてしまっては大変と思った1先生は、サンショウウオの子どもたちを"ふるさと"の沢に帰してやろうと決心した。

私も付き添わせてもらったが、秋も深まったその日、薄暗くなった沢でビニール袋から静かにはなれていくサンショウウオの子どもたちは、およそ考えられない出来事に驚きながらも、I先生との別れを惜しむかのようであった。そのときの光景がいまも祐佛として心に浮かんでくる。

I先生をはじめとする心の優しい先生方の仲間に入れてもらい自然と接しながら多くのことを学べる幸せを有難いと思っている。

教育の機能は、愛情と信頼の上に立ってこそ、成り立つものであろう。

この会で学んだ温かい人間関係を大切にして、教師として人間としての努力と精進を重ねていきたいものだ……と心に念じている。

(梁川町立梁川中学校教諭)

 

三十歳を迎えて

 

三十歳を迎えて

荒明澄雄

 

「光陰矢の如し」、私が現任校に赴任して三年以上が経過し、また、今年の五月でちょうど三十歳にもなった。過去を振り返ってみると、なぜか後悔の念のみがわきあがってくる。いったい、私の歩んできた教職人生は何だったのだろうかと……。

私の教師としての振り出しは、ある山村の中学校の講師であった。そこでの子どもたちとの出会いは、今でも明瞭に記憶している。当時は、子どもたち全員がきらきらと輝いており、自分自身も無我夢中であった。私にとって日々充実していたように思える。しかし、その後現在に至るまでの道のりを振り返ってみると、こうすればよかった、ああすればよかったというように自己反省のみになってしまう。

教育に対して情熱をもって取り組んできたつもりだが、自分の怠惰が原因で子どもたちに満足のいく指導ができなかったのではと思われてならない。

日々の反省をしっかりと心にとめて後の教育活動に生かして行けばよいのだが、それも思うにまかせないのは、自分の心のどこかに甘えがあるのではと思われてならない。特に最近は痛切に感じる。

しかし、このような私に対しても、諸先生方は常に適切な指導と助言を与えてくれ、問題解決の糸口を切り開いてくれた。私にとって良き先生方との出会いは、何事にも変えられぬ貴重な財産となったのは事実である。

「子どもは教師を選べない」とよく

 

 

 


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