教育福島0114号(1986年(S61)09月)-024page

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言われるが、このことばは私の教育信念として常に脳裏にやきついている。

 

もに、一人一人の子どもをいつまでも温かく見守っていきたいものだと思う。

 

現在、私は四年生四十名を担任しているが、どの子をみても一人一人がきらきらと輝いている。本当に、子どもには無限の可能性があるのだと痛感させられる。その芽を大きく育てるのも摘んでしまうのも教師次第であると思うと、自分の使命の重大さを再認識させられるとともに、一人一人の子どもをいつまでも温かく見守っていきたいものだと思う。

 

振り返ってみると、三十歳までの自分は、教育に対する迷いと自己反省の日々であった。今後は、三十歳を転機として新採用時代の新鮮さを思い出し、同時に今までの貴重な体験を生かして迷いのない教育活動をしたいものである。

一人一人の子どもの心の痛みがわかるような、また、子どもの心にいつまでも生き続けるような教師になりたいと、強く感じるこの頃である。

(玉川村立須釜小学校教諭)

 

他者達成

小澤義喜

 

黷ヘPTA総会の席上、会長が次のような挨拶の中で述べたことばだそうである。

 

教師になりたてのころ、恩師より、「他者達成」ということばを聞いたことがある。これはPTA総会の席上、会長が次のような挨拶の中で述べたことばだそうである。

 

『現在の大人たちは、戦後の混乱の中で育ってきたため、将来のことについては、かなりの制限を受けてきた。しかし、物質的にも恵まれ、教育条件もととのってきている現在、これまで親自身がかなえられなかった夢を子どもに託し、子どもを通して達成しようとしている。その過剰なまでの期待が、子どもにとっては重荷になっているようだ。そのことが逆に、親への反抗や非行、または家庭内暴力という形で表れる。子どもには子どもとしての人格があるので、個性を伸ばせるような家庭教育が必要なのではないだろうか』

これは、大変すばらしい意見だと思う。

その後教員になって十四年目、現在もこのような考えのもと、他者達成的考えの家庭教育が行なわれているような気がする。子どもたちは、親が敷いてくれたレールに乗って生活している様子を見ると、かわいそうに思う時がある。子どもが自立しようとしても、親の子離れができない中で、不安定な親子関係から、さまざまな社会問題にまで発展しているようである。

 

私の教え子の一人に、親の考え方に対して反抗し、自分の道を切り開いた生徒がいる。農家の長男として生まれた彼は、成績も比較的優秀で、親は大学への進学を希望していた。子どもは鉄道が好きで国鉄志望であった。高校二年生のころ、この意見の食い違いが表面化し、かなりの紆余曲折の結果、親は子どもの希望に同意し、現在、りっぱな国鉄職員として、自分の人生を力強く歩んでいる。

学校という社会においても、このような指導がなされているような気がする。教師は生徒に対して「こうなって欲しい」という期待を込めた指導に陥り易い。しかし、私は学校での他者達成的指導こそ、生徒の個性・自主性を伸ばす手段としての有効な教育方法であると考えている。

教員としての初めての赴任地は、日本有数の豪雪地帯、只見町のつつじが丘分校であった。生徒たちは大変人なつっこく、授業や放課後の部活動でも素直な反応を示してくれた。非行などとはおよそ無縁で、毎日の生活がとても活気に満ちあふれていた。その年の新入生の中に、きらりと光る一人の生徒がいた。農家の長男として分校に入学し、将来の後継者として勉学にスポーツに励んでいたのである。そんな生徒を、「何とかしてやりたい」と考え、家庭訪問等を繰り返して、大学進学を勧めてみたのである。親に対する遠慮と、進学してみたいジレンマに遭遇しながらも、その悩みを乗り越えて進学を決意し、みごと大学へ合格したのである。初めは反対していた両親も大変喜んでくれ、とてもうれしかった。

その後も勉学に励み、現在はある高校の青年教師として活躍している。やや強引な進路指導かと自己反省もしたが、私と同じ道を選び教員となってくれた教え子に、私は深く感謝している。と同時に、大きな責任を背負ったような気がしている。

私は、これからも他者達成的発想をもとに、生徒たちに自己実現を図らせるため、子どもたちに夢を与え、より多くの感動を経験させることが大切であると考える。今後も、生徒一人一人の自己実現のためのアドバイザー役としての教師になれるよう、大いに努力していきたい。

(県立会津農林高等学校教諭)

 

 

 


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