教育福島0115号(1986年(S61)10月)-012page
された正倉は、郡政の主要業務であった租の徴収と、それの収納法を雄弁に語ってくれます。もう一つフロアに出ている東村の佐平林遺跡出土の井戸枠と復元製作のカマドは、水の共同利用と古代の炊飯のしかたを教えてくれます。「公民の生活」は「ムラのくらし」から連続して人々の生活とその変化を、生活用具を通して説明しています。
古代の最後は「在地の仏教」で、中尊寺経を中心に、勝常寺・慧日寺・無量寺の諸像と承安銘三経筒をみることができ、本県仏教文化の古さと高さがうかがわれます。
ウ 中世は、源頼朝の奥州平泉征伐の主戦場となった国見町の阿津賀志山合戦がスタートです。西の元冠防塁、東の二重堀として史跡に指定された二重堀を、発掘調査のデータで模型化し、これに彼我の人馬を配した構成は、古代末の合戦の様子をリアルに再現しています。
ここには、棚倉町馬場の都々古別神社の重文赤糸威鎧の復製があります。相馬の鎧師橘斌氏の苦心作です。大鎧の美しさは、武具というよりは美術品です。中世は殺戮と祈りの時代でもありました。八槻都々古別神社の十一面観音・御正体を展示する「神仏習合の世界」と北党の戦死者の供養と思われる「板碑の丘」は祈りであり、「南党と北党」・「戦国の群雄」はカオスの時代です。ここには、発掘調査によって明らかとなった、陸奥国守護伊達植宗の営んだ梁川城の庭園及び本丸御殿の模型と、輸入陶磁器をはじめとする質の高い中世陶磁器があります。
フロアには、学術調査の成果を生かした好嶋庄と飯野八幡宮の復元模型があります。中世荘園を展示に生かす方法として地形模型化し、館跡・寺院・集落・耕地などを、鎌倉・南北朝・戦国の各時代に分けて、ボタン操作で識別できるしくみになっています。
エ 近世のスタートは奥羽仕置からはじまります。南奥をほぼ支配下におさめた伊達政宗の覇権を否定し、会津に乗り込んだ豊臣秀吉は、奥羽の小田原不参の諸将を処分して蒲生氏郷など腹臣の部下を配しました。この間検地と刃狩りを命じました。近世は民俗資料を多用した展示で、「奥羽仕置と諸藩の成立」「学問と文化」「ゆれうごく封建社会」で歴史の推移を語り、「会津農書の世界」「山国の神と人」「庶民の信仰」他で歴史の断面を見せます。フロアには、県指定史跡一の戸制札場を実物大で製作しました。封建支配の象徴である制札の脇は、社会を支えた農業の様子を屏風や絵馬で紹介するとともに、会津農書に登場する農具を展示しています。この中には江戸時代の紀年銘を有するものが多く、説得力をもっています。士農工商の身分を逆転させる商業の発達は、「町のにぎわい」で扱います。若松大町一之町の町並み模型は、多くの資料から復元しています。各種の店は資料に忠実に家具・商品までを詳細に表現されています。道の中央を流れる街堀り、高札・火の見・各階層の通行人が江戸時代の雰囲気を漂わせています。フロアの田島町祇園祭の屋台は、天保七年銘の西町屋台を復元製作しました。歌舞伎の一力茶屋の場面を舞台上に表現しています。数十戸の西町が、この巨大で豪華な屋台(実は移動舞台)を作り得たことは驚異で、町人の資力と心意気が伝わっ
中世の阿津賀志山(国見町)の二重堀
中世の板碑の丘
学術調査の成果の好間庄(いわき市)復元模型
町のにぎわいを示す町並み模型
請戸浜の伝馬船模型