教育福島0115号(1986年(S61)10月)-021page

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りました。先生が、「名前を教えてあげなさい」と言ったので、わたしは、びっくりしました。わたしは思わず、「わたなべあやこ」と名前を小さな声で言いました。とてもはずかしかったので、下を向いてしまいました。向こうの人も先生に名前を聞かれた時はずかしそうなので同じだと思いました。(中略)

みんなでいろんなことをするときに、ボールをひろってあげたりやり方を教えてあげたりしました。わたしがよそ見をしていたら、養護学校の人がどこかへ行ってしまうことがありました。わたしはあわててさがしに行きました。見つけて手をつないでつれてきました。(中略)

へい会式が終わって、みんなでバスに乗りました。朝会った時にははずかしかったけれど、ゲームをいっしょにやったり遊んだりしたので、はずかしくなくなりました。(中略)

養護学校の人達のなかには、からだの不自由な人がたくさんいました。交歓会の前の日は、からだが不自由な人と遊んだりするのがいやだな、なんて思っていたけれど、終わってみるといやだったなんて思いません。それは、たぶん楽しかったからだと思います。

 

(三) 保護者の意識(熊倉小)

1) 交流がなされ、子どもと同様に思いやりの心を認識させられた。

2) 障害児の人々は、心が澄んでいて、素直であることが理解できた。

3) 養護学校との交流で、子どもから話を聞き、障害児であっても精一杯がんばっている姿を聞き、他人への思いやりや、いたみをわかってあげようとする気持ちが育つたことを嬉しく思います。

4) 同じ人間に生まれながらかわいそうと思っていたが、私たち大人も子どもたちの暖かい心を育てるだけでなく、現実の行動として社会生活の中で生かしていきたいと思います。

5) 保護者(熊倉小)の感想文

去る九月二十六日、西郷養護学校と熊倉小学校の交歓会に参加させていただいた生徒の母親です。

養護学校については、同村にありながら全く無知でした。学校から要請があった時は、多少の不安と正直言って好奇心のようなものも手伝って承知した次第です。(中略)

慢然と参加し、色々なものに出合い、そこから得ることも子どもの場合多くあると思いますが、養護学校の皆さんは、目的をきちんととらえている様子が感じられました。(中略)

学力や競争のみが重視されるような社会の中で、子どもを見る目もそれのみで評価してしまいがちな自分が恥ずかしくもなりました。(中略)

それまで障害者については、意識の外にあったものが、今回参加させていただき、障害者は決して社会のワクからはみ出しているのではなく、共に生活している一員であるということを認識しなければと思いました。

6) 本校PTA役員の感想

元気で活発な熊倉小の子どもたちと明るく屈託のない本校の子どもたち、最初はどことなくぎこちないやりとりにも感じられましたが、大信村運動公園で一緒に楽しくゲームに興ずる頃には打ちとけたふんいきに移っていきました。(中略)

このような交流の機会がより多く重ねられる事により、健常児の障害児に対する異和感がなくなるのではなかろうか。初めて握手をする時、とまどいを見せた熊倉小の児童も交流が深まるにつれ、本校の児童がけっして特別ではなく、自分たちより心や身体が弱いだけだと気付いてくれたはずです。(中略)

この活動をきっかけに交流教育の輪がより広がる事を役員の一人として願っております。

7) 地域協力者(熊倉小)の感想養護学校の児童の活動範囲の広いことには、全く驚かされました。本校の児童が自分の任務を全うするために必死に追いかけ廻っている真剣な表情には本当に感激いたしました。(中略)

あの養護学校の児童の懸命な姿、子どもと一諸に行動をする先生方、子どもなりにか弱い者への「いたわり」を持ってリードしようとする児童。私たち三名だけの感激では本当にもったいないと思いました。他の方々にも是非この感激を味わって欲しいと心より思いました。(中略)

今後もこのような企画をどんどん持って欲しいと思います。そし

 

おもしろ国めぐり

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