教育福島0115号(1986年(S61)10月)-025page
しい思い出である。
授業は正規の保健のほかに生理学、看護学などを取り入れ、実技は週八時間。球技、陸上、体操などそれぞれの専門の先生方が実施。体育大学を縮少したような内容だった。このころはすでに校庭は整地され、授業に支障はなかったが体育館はまだなく、柔道などは屋上のコンクリートの上に畳をひき実施、さすがのモサ連も投げられるたびに顔をしかめていた。こんなすばらしいクラスもいろいろな事情により四回の卒業生を送っただけで終ってしまったことは非常に残念である。
わがクラスも四十三年春、全員無事に卒業式を迎え、新しい社会へと旅立っていった。
「運動施設」の一つであったズリ山も今は団地にかわり、新しい内郷の町ができているが、そこをかけ回っていた生徒たちも今では高校の体育教師、警察官、建築業、運送業など種々多様な場で活躍している。彼ら“仲間たち”が年に何度か子どもをつれて顔をみせにきてくれる。夜おそくまで盃をかさね、昔を懐しむたびに教師になって本当によかったとつくづく思う今日このごろである。
(県立湯本高校教諭)
夏休みに思うこと
佐々木 徹
だれもいない教室、だれもいない校庭に夏の日ざしがあふれている。ふだんは、学校中が子どもたちの元気な声と笑顔で満ちあふれていただけに、夏の強い日ざしを一層、強調しているようだ。
教職に就いて初めての夏休み、慌ただしかった学期末も終わり、心も体も安らぐのではないかと思っていた。しかし、そう感じたのは、ほんの二、三日で、しだいに寂しさを感じるようになってきた。子どもとともにいるときは、夢中になっていたのに、子どもから少し離れると、本当に寂しく感じている自分に気がついた。
四月、私は石神第二小学校五年一組の担任として、教師の第一歩を踏み出した。以来、それまで夢に描いてきた教師というものを自分のものにしようと、全力を出してきたつもりである。
できる限り、子どもと外に出て遊び、心をつかもうとした。私が今まで経験してきたこと、学んできたことを、ひとつでも多く子どもたちに伝えてやろうとがんばってみた。しかし、教師という仕事の複雑さ、そして、何よりも自分のいたらなさに思い悩む日々が続いた。学校に行くのが、おっくうに感じる日さえあった。そんなとき、「多くの立派な先生方と、大好きな子どもたたちに囲まれて仕事ができる自分を幸せに思え」と、自分に言い聞かせもした。
一学期も終わりに近づいたころ、自分の不注意からけがをしたとき、子どもたちが私のことを心配して、「先生にめいわくをかけない」という生活のめあてをきめ、みんなで話し合っている姿を見た。このとき私は、「一人ではない。四十四人の子どもたちと一緒に生きているんだ」ということを思い知らされた。
まだ四か月だが、教師になって本当によかったと思っている。そして、子・どもたちに感謝せずにはいられない。今、私はこの子どもたちに、教師として、人間として何かを残してやりたいと考えている。何が残せるか、それは、ともに感動することだと思う。感動する心こそ、ともに生きたあかしだと思うからである。もちろん、感動するということは、その感情に流されてもいいということではなく、教師として押さえるべきところは、押さえた上である。
今の子どもたちは、感動することが少ないと言われる。しかし、学校生活の中には、そうした機会はいくらでもあると思う。私も小学校時代、先生に読んでいただいた「一マイルレース」という本に感動し、今も強く心に残っている。そうした環境を作ることも教師の大切な仕事の一つだと思う。
夏もやがて終わり、寂しかった学校も、再び活気のあるにぎやかな生活が戻ってくる。私が教師という夢をかなえたように、二十一世紀に向って大きな夢をもち、活躍するような子どもたちを育てるために、これからも努力を傾けていきたいと考えている。
(原町市立石神第二小学校教諭)
親の気持ちを受けとめて
星 憲隆
「この子の親であったら、こんなことを教師に期待するだろう、と考えな