教育福島0116号(1986年(S61)11月)-023page

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り過ごしてしまっているのではないかと、ふと思うことがあります。

それは、他から与えられるものではなく、自分の研ぎ澄まされた心でしか得ることのできないものであり、本当は、一番追い求めなければならないものかも知れません。

その時の自分に見合った“身体いっぱいの幸せ”感ずる心を求め続けていきたいと、つくづく思います。

(会津坂下町立第二中学校教諭)

 

分校生活の思い出

茅原光照

ヒ数二十戸足らずの集落につく。ここに私が十七年前に勤務したT分校があった。

 

谷あいの山道を約四キロメートルほど登りつめると空が開け、戸数二十戸足らずの集落につく。ここに私が十七年前に勤務したT分校があった。

夜は星空が目にしみるほどに輝き、谷川の水音だけが聞こえてくる静寂の地である。

子どもたちは、分校から家へ帰るとまた分校に遊びにきて、一日中分校で過ごしていた。

男の子どもたちは着任すると間もなく、ヤマメつりを教えてくれた。女の子たちは自分からせがんでお手伝いをしてくれた。この子どもたちの純朴で素直な態度に接し、学習面でも効果を上げることができるものと意を強くした。

 

一方学習指導面では、初めての複式学級の難しさに直面し悪戦苦闘の連続であった。

子どもたちには申し訳ないが、近隣の研究校からいただいた資料をもとに試行錯誤による手探りの頼りない人まねの授業を進めていた。

ちょうどその時、当時のF校長先生が分校を訪問され「このような環境でこそ本当の教育ができるのです。何かここでなければできないことを、一つ子どものために残し、記録にまとめてください」とのご指導をいただいたのである。

F校長先生のご指導に応えるには、どうしたらよいのだろうかと悩んだ。

しかし、この環境の中で子どもたちに何を為すべきかは決まっていた。

それは、子どもたちが自分で自分の学習を進めることのできる、手だてを考えてやり、その学習の仕方を身につけさせることであった。

幸い子どもたちも興味を持って真剣に取り組み、未熟ながらも実践記録を残すことができたことは、F校長先生のご指導の賜と感謝している。

分校生活も三年目に入り、四季折々の美しい自然の中での生活にも慣れ、生活が幾分惰性になりかけていた時のことである。

前任校で大変お世話になったS校長先生からの激励のお便りをいただいた。便せんの最後の一行に、「小人閑居為不善」記してあるのを見た時、この一行が私の胸に鋭くつき刺さった。

 

現在は近代的な新校舎と、恵まれた設備や環境の中で、先輩同僚のぬくもりを感じながら勤務している。

時折当時の不自由な分校生活を思い起こし、あの時、この時の先輩の先生方からの励ましを肝に銘じながら子どもたちと共に歩むこのごろである。

(二本松市立杉田小学校教諭)

 

この子どもたち

 

この子どもたち

武川昭夫

空は紺ぺき。風もなく、今日はとてもいい日和。

 

空は紺ぺき。風もなく、今日はとてもいい日和。

秋の柔らかい光のすだれが、にぎやかで陽気な子どもたちの背に、肩にじゃれている。鹿島の子ら七百八十七名の一人一人があ、げる歓声が、鉄筋三階建ての明るい校舎にはねがえって、業間自由遊びの時間が始まった。

 

ここは、鹿島町走熊字中島一番地。東に高照の峰。西にはるか常磐バイパス六号線にかかる三沢橋の赤い橋脚。正面の丘のふもとに鹿島公民館。学童通用門の筋向かいが、かわいい小さな郵便局。なんでも売っているお店屋さんは、その前。農協の建物は冷暖房完備。昔からこの地に住んでいる農家の人々の社交場だ。続いて床屋さん。しゃれた造りの家々から少し離れて、旧家の重そうな黒い屋根。

 

 

 


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