教育福島0116号(1986年(S61)11月)-000page

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教育福島

86 11月号 Vol.116

目  次

表紙絵〜ベン・シャーン「星くずとともに消え去った旅寝の夜々」

提 言  [PDF]宮城県美術館長加藤陸奥雄

特集 1 医療保険制度の現状から  [PDF]

特集 2 福島県の文化  [PDF]

随 想  [PDF]

告知板  [PDF]昭和61年度教育・文化関係表彰式・ほか

研究実践  [PDF]

理科指導の実践  四倉中学校教諭赤木鎮男

国語科学習の指導法 大島小学校教諭 鈴木 良

教育センターから  [PDF]マイクロコンピュータを利用した情報処理教育

生涯教育インフォメーション  [PDF]地域に根づく高等学校開放講座

図書館コーナー  [PDF]県内公共図書館・公民館図書室実態調査

ふるさと探訪  [PDF]蒲生秀行廟及ひ桑折町西山城跡

羅針盤  [PDF]来春卒業予定者の進路希望状況

世界の教育は、今  [PDF]フインラントの教育・ほか

名画散歩

「星くずとともに消え去った旅寝の夜々」

版画集《リルケ「マルチの手記」より》ベン・シャーン作

(紙・リトグラフ 五七・三×四五・三cm 一九六八年制作 福島県立美術館蔵)

アメリカの画家べン・シャーン(一八九八〜一九六九)が、ドイツの詩人リルケの「マルチの手記」という小説に感銘を受けて制作した、二十四点の版画集です。繊細な色使いと確かな造形表現か融け合った、シャーンの代表作です。

今月号では、ベン・シャーンのリトグラフ(石版画)作品の制作に欠かせない協力者だったムルロ親子についてこ紹介します。

フェルナンムルロ(一八九五〜)は生粋のパリシャンで、印刷工場を営み、リトグラフによる印刷術の発展に大きく貢献しました。ピカソ、マティス、フラノク、シャガール、ミロなと、今世紀の偉大な画家たちのリトグラフ作品の多くは、彼の版画工房で生まれたのです。

ムルロは『パリの版画工房』という本の中で、べン・シャーンの思い出も語っています。「(ベン・シャーンは)私にとっては古い友だちて、工場にしばしは仕事にやってきた。彼は一九六九年に亡くなり、私は残念でたまらない。彼はフランス語が大変うまかった。非常に好感のもてる男で、若い頃は石版師だった。いわゆる『印刷機で紙を取って』いたのだ」

版画集《リルケ「マルテの手記」より》は、ムルロの息子ジャックとの共同作業によって生れました。ムルロの仕事場は、すぐれた芸術を生みだす夢の工房なのです。

(産婦の叫び 版画集《リルケ「マルチの手記」より》べン・シャーン作)

(産婦の叫び 版画集《リルケ「マルチの手記」より》べン・シャーン作)


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