教育福島0116号(1986年(S61)11月)-027page
したいと思っている。保険など嫌いだった私が、子どもの誕生に合わせて加入し、子どもが中学生になると大幅に保険料を増額した。また、私の実家は福島から遠く、年寄りが家を守っているので、出張の折などは必ず宿泊先を家内に知らせておく。そして、自分もかわいいので、些細な身だしなみかも知れないが、危険いっぱいの車社会の心得として家を出る時はきれいな下着を身につける。その他、人目に触れられたくない写真や手紙などは処分し、しまっておいたりもしない。
このように羅列すると私の日常は、いつもおどおどと不安の中で生きているように思われるかも知れない。しかし、本人はいたって楽天家の部類に入ると思っており、明日が誰にも「ワカラナイ」から今日を大事に生きているだけなのである。
十五年間の教員生活をはなれて四年、教育現場や生徒の実態は一年でさえ変化をしているのに、この四年の離別は私にとって、今度は学校が未知のものになるような気がしてならない。
いつぞや、館長からお聞きしたことがある。
「この年になると、ふと自分の体が心配になることがある」
単身赴任の館長のご自宅には、電話の横に大きく眼鏡なしでも見えるように、私の家の電話番号が書かれている。
(県立美術館主任学芸員)
高校野球に学ぶ
矢内眞理子
暑かった七月、私の村内にある富岡高校川内分校が、夏の高校野球県大会で待望の一勝をあげ、二回戦に進出することになり、村中どこでもその話題で持ち切りでした。
私もかつての教え子たちが出場するというので、須賀川の球場まで出かけることにしました。
応援席に着くと、そこはもう川内村の人たちで溢れ、その熱気は球場を圧するばかり。ここでは、村の人たちが一体となって「我が村の学校」への声援が沸騰しており、高校野球を初めて見る私ですが、いつの間にかすっかりその渦の中に入ってしまいました。
はるかグランドに目を向けると、ユニフォームに身をつつんだかつての教え子たちが、中学時代に比べて、ひとまわりもふたまわりも大きくなった姿で投げ、打ち、走り活躍する様子に、私はうれしさをこらえ切れず、つい夢中になって声を張り上げ、好守好打に拍手を送っていました。
選手の中に見覚えのあるあの顔、あの姿、彼等がつい数年前まで、中学校の私の教室で、授業のときに目の前に座っていたあの子どもたちなのだろうか。たくましく成長し、躍動する彼等の姿から思わずこみ上げてくるいいようのない感動にとらわれました。
選手の中には、私の受け持ちで少々弱気がちで進路決定の際に迷いに迷ったあげく、高校へ進学してからも足の故障と手術をするという不運に遇い、大好きな野球を続けられるだろうかと不安を訴えていたA君もいます。
川内中学校の生徒は、自然環境に恵まれており、村の子どもたちはのびのびとして明朗ではあるが、都会の生の文化に接する機会も少なく、自分の中に潜在する能力の開発や発揮する場も少ない現状にあります。しかし、今こうしてグランドで生き生きと躍動している姿を見ていると、どの生徒にもはかり知れない可能性を秘めているのだとつくづく思い知らされました。
本人の努力と、まわりの暖かい目と適切な指導があれば、どの生徒も本来持っている能力を出し切って、十分な成果を上げることができ、それがまた、次の夢へと発展していくのだということを改めて教えられたような気がしました。
豊かな自然から身につけた誠実な心を大切にはぐくみながら、自信をもって努力し、自己の力を出し切る若者、他のために自分を生かすことを喜びとする若者、わが校のめ、さす「未来を創る」青年に成長してくれることを願いながら、これからも生徒とともに確かな歩みを続けたいと、晴れの県大会のグランドで躍動するかつての教え子たちに声援を送りながら心に誓ったことです。(川内村立川内中学校教諭)
野球をとおして豊かな人間性を養う