教育福島0118号(1987年(S62)01月)-021page

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随想ずいそう

 

学校がたのしい

 

学校がたのしい

熊谷  弘

 

は、校長には極めて少ない。その機会をつくりだす努力をしたいと思った。

 

個々の生徒と語り合う機会は、校長には極めて少ない。その機会をつくりだす努力をしたいと思った。

これまでは、三年生でも三分の二前後の生徒が、一歩も校長室に入ったことがなかったという。校長や校長室が生徒にとって無縁で遠い存在であったのかもしれない。朝会や集会での校長訓話も別世界の話のように受けとめていたのだろうか。

賞状受賞者、生徒会役員立候補者、読書感想文発表者などに、「はがき」に励ましの言葉を書いて送ることにした。はがきを受け取った生徒が「先生、はがきありがとうございました」と、校長室に来るようになった。すべての生徒が来室するわけではないが、一人一人を大切にする労を惜しんではいけないと思う。校長は「教師」であるのを忘れてはいけないと自戒している。朝会等の訓話の実効をあげるためにも、平常の生徒とのふれあいを大切にしたいと思う。

 

四月からこれまで、本校の生徒は学校環境の整備のために、多くの仕事をなし終えてきた。花壇の手入れ、校地の草刈り、測溝清掃と修理、約二百平方メートルの舗装工事、物置倉庫の整理整頓、堆肥づくり、樹木の前方定、植え替え、庭石利用の庭つくりなどである、

中学校が通常の施設の維持管理や環境整備で、保護者の労働奉仕を期待するのは極力避けたいと思う。勤労体験学習からも、教師と生徒のふれあいからも、そして教育現場での甘えをなくすことからも、共に汗を流し、自分たちの学び舎は、自分たちが維持し管理していくのだという意識と努力を大切にしたい。

二、三名の生徒が交替で、毎日校長と作業をすることにした。作業からは協力と会話が生まれる。困難な作業では、意見や知恵をだしあい、手順を考える。少人数では、サボルこともできない。汗を流し、ほどよく疲れて作業をやめ、校長室でお茶を飲む。暑い日は、アイスクリームをなめて話し合う。「校長室は広いなあ」「校長先生はどこから通勤してるの」、生徒たちは、室内を見まわしながら話しかける。「おれ校長室はじめて入った」「おれもだ」 だされた駄菓子を食べながら生徒の会話が続く。部活動のこと、クラスのこと、友人のこと、「A先生はこわいよな」と話すと、一方が「でもな、A先生は案外ゆかいなんだぞ」と教師をカバーする。その呼吸と知恵の連携はすばらしい。

ある日、雨にもかかわらず「作業を続けよう」と、生徒が主張した。どしゃ降りの中、ぬれねずみで庭木の植え替え作業をした。来合わせたPTA会長も、そのままの姿で生徒と一緒に泥んこの仲間になった。

私は、毎日毎日が充実し、学校にいるのがたのしい。実践努力する教職員、汗を流す生徒、私は最高に恵まれた校長である。

(いわき市立錦中学校長)

 

気負わずに

 

気負わずに

渡部あつ子

 

り返ってみると、早かったようでもあり、とても長かったような気もする。

 

養護教諭になって、今年で十五年目を迎えた。年だけは「中堅」と言われる年代に入ってきている。今までを振り返ってみると、早かったようでもあり、とても長かったような気もする。

養護教諭という職業は、専門職であり、学校でただ一人ということもあるが、教育者であって教育者でないような部分があるため、悩んだり、挫折感を味わうことがたびたびあった。

しかし、職について十年を越えるころから、職務についての見方や考え方が、少しずつではあるが変わってきているのを感じる。あまり、小さなことへのこだわりがなくなってきたのである。

若いころは、「先生、暇そうだね。私たちが授業している間、先生は何をしているの」と生徒に言われたりする

 

 

 


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