教育福島0118号(1987年(S62)01月)-023page
この指し手が思いのほか効果を発揮したと一人感激している。
将棋では、大局観が非常に大切であると言われる。最善手とは、その大局観に裏打ちされた一手であると、私は考える。新採用教員研修会のとき、ある指導の先生から、
「教師にとって大切なのは、本質を見、全体を見、そして、先を見る三つの目を持つことなのだよ」と教えられたのを思い出す。これこそ大局観なのだろう。
明日からも、また、子どもたちと織り成す生活が続くが、その中で打つ次の一手は、どんな手になるのであろうか。できれば最善手を指したいものだが・・・・・・。
(東和町立上太田小学校教諭)
不登校
倉島一博
「学校で勉強や生活をすることはあまり意味がない」 「いろいろな人がいるなかで、そのつきあいがわずらわしくてっかれてしまって………」 「ひとりでしっかり自分のペースで勉強した方がはるかに能率があがると思う」
二年のA男が欠席がちになり、担任同伴で家庭訪問をしたときの彼の言葉であった。それが欠席の理由だというのである。教科学習の成績もよく、進路についての目的意識も高い彼の言葉である。
「今は友達や仲間が大切だと言う人は多いけど、いざというときに友人のために自分を犠牲にできる仲間なんてひとりもいない。だから僕はいつも距離をおいてつきあってきました。親友なんていません。結局最後は自分だけだからそんな友人をもつことなど考えられない」……。
本当の学力についてわかりやすく話してみた。教科の学習だけでなく、どんな状況や集団の中に位置していても自分らしい生き方が、他との関係の中でできる力も大切なのだということは言葉のうえではわかったようであった。そして本当はひとりでは生きていけないということも、彼の言葉の中にたしかにあった。
元気に登校してくれることを期待していたが、不登校が続いた。保護者と話し合ったが生活の状態はかわりがなく、家にとじこもり音楽を聞いたり勉強をしたりしていて、親にもあまり心を開かない様子であった。次の家庭訪問で次のような対話があった。「僕の欠点は我慢する力がとても弱いことだと思っている」「その力はどこからきたり、どんなことで身につくんだろうね」「それは生れつきでどうにもならないんじゃないですか」「そうかなあ。でもそんな力はあった方がいいんだろうね。 (例話)」「そう。そんな人は尊敬しちゃうな。でも僕はだめだと思う」
校則についても意見があった。表情をくずして心から大笑いしたこともなく、柔軟性にも欠ける彼が、表情を柔らげて手ぶりもまじえてかなりよく話してくれた。彼も私もほっとする時間をもてはしたが、将来のことを考えるとどうしてももっと幅広く、柔軟でたくましくなってほしいという想いが強かった。何不自由なく育ってきたように見える彼だが、他の生き方やいろいろな個性とひびきあえる喜びや意義を自分のものにできなかった淋しい部分があることをかいまみ、その面で目を開かせたり、体験したことを心の中であたためたりすることを学習させたいと思う。
不登校の児童生徒が漸増している実態が憂慮されているが、そのひとりひとりの心の底に、それぞれにふさわしいあたたかい手をさしのべることが必要だと思っている。彼は彼なりに自分にたちむかえるよう援助をしょうと思う。(郡山市立郡山第三中学校教諭)
一服の味
佐久間 恵 子
十三時十五分のチャイムが鳴り終わると同時に全国保育科高等学校長並びに保育主任連絡研究協議会の幕が開けられた。始めに保育科三年の実技実習。ハネルシアターの発表である。一瞬生徒たちの顔に緊張が過ぎっている。五十音の歌「あいうえ大きなおかしだな」が始まった。私にも緊張が訪れた。笑顔で楽しく歌うようにと願う余り座っていられなくなり、立ちあがって調子を取りはじめてしまった。ピアノも上手に弾けているし、歌っている生徒たちも口を大きくあけ、はっきりと発音している。私はやっと落ち着きさを取りもどし、生徒たちが一生懸命に熱演している姿に感動し、また安心した。開会行事のあとは、私の「パネルシアターについて」の話が待っている。私も