教育福島0118号(1987年(S62)01月)-024page

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生徒たちに負けてはいられないと思い、心の準備をはじめた。

文部省の方々を始め、諸先生方が熱心に見聞されている姿に生徒たちの今までの苦労が報われたと感じた。放課後、七時近くまで寒い中を身体を震わせながらの練習が何日も続けられたのである。

今年の四月、突然三年の保育科を持つようになった私は、自分の心の中に張り合いが芽生えてきているのを実感した。忘れかけていた何かを取りもどしたように思えた。しばらくは私と生徒間にぎごちない日々が続いていたが一学期の終りには、そうしたわだかまりも消えていた。

この大会のための準備は一年前から進められていたが、本格的には二学期に入ってからである。私は保育科の生徒全員で取り組みたいと考えていた。食物の先生方の協力を得て、一・二年生はお客さまに出す手作りのマドレーヌをLHRの時間に作ってもらうことになった。三年生は会場となる保育技術室の会場作りと展示そして発表を担当することになった。不安はあったが生徒たちは実に協力的に仕事をしてくれた。

いつもなら、放課後飛んで帰る生徒が展示のために何日間か遅くまで残って準備をしてくれた。中でも問題行動の多かった生徒が当日の朝、床の黒ずんでいる所を洗剤とタワシを使って黙々と磨いている姿に感心せずにはいられなかった。自分の責任を立派に果たしてくれたことに私はうれしさがこみ上げ、生徒を信じたことに喜びを感じた。彼女本来の良さを認め、自信をもたせてやることが担任としての私に課せられた使命であったと改めて考えさせられた。

他の生徒たちも同様で、床を磨いている者、白布にアイロンをかけている者、寒風にさらされながら渡り廊下を掃いている者など文句一つ言わず誰もが準備に精を出していた。

職員室に戻ると私の机上にメモがのっていた。「センセイがんばって!三の十のみんなより」と。メモの脇には生徒の一人が作ったお花のマスコットがあった。

生徒たち一人一人の力に支えられてこの大会を迎え、そして無事終えられたことに感謝している。彼女たちの協力なくしては成功することができなかったはずである。また、諸先生方にも大変お世話になり、退勤時間がとうに過ぎているにもかかわらず貴重な時間をさいて下さって、パネルシアターの演じ方を指導して下さった先生、会場作りや清掃を手伝って下さった先生方に深く感謝している。

すべてが終わった今、静寂の中一服の濃茶をいただく。口の中に広がったにがみがいつしか、じゅわあっと甘みに変わってきている。

(県立郡山女子高等学校教諭)

 

パネルシアターの発表をする生徒たち

パネルシアターの発表をする生徒たち

 

その努力に共感して

岡田常雄

 

上京した折、郊外へ向かう電車内の出来事が私の心を強く打って離れない。

 

所用があって上京した折、郊外へ向かう電車内の出来事が私の心を強く打って離れない。

空いていた車内の私の正面には十三、四歳と思われる少女が座っていた。

その少女の体の動きから身障者であることがすぐ分かった。ひざの上には大きなふろしき包みを左手で抱え、右手は自分の体の動きをささえていた。

幾分小さく見えた左手は、ふろしきの結び目をしっかりと持ち、右手は電車の動きに不安定な体をささえるのに精一杯の様子。

激しく揺れ続く内に、ふろしきの一つの結び目がとけ、まだ青みの残るみかんが二、三個座席の上にころげ落ちた。少し左上につり上がった唇をかみしめながら懸命に拾い上げ、ふろしきの中に入れるのに大部時間がかかった。

少女にとっては大へんな努力である。その姿を見守る人も多くなり、手をかそうとした婦人もいた。しかし、少女は「ありがとうございます。私が結んでみます」と静かにことわった。その態度には気品さえうかがえた。それは、理屈をこえた少女の固い信念であり、自分の生活に必要な経験をより高い確実なものにしようとする営みでもあると感じられた。動く電車にそむかれながらも、結ぶ努力が続けられた。

…何回も、何回も……くり返された。一心不乱の努力である。その努力する心に、その手の動きに、一つの輝きさえ覚えた。早く結ぶことができるように、祈る思いがした。

いつしか回りの人々にも、あわれみ

 

 

 


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