教育福島0118号(1987年(S62)01月)-025page

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や不安が消え、じっと見守ろうとする雰囲気さえうかがえた。それは車中の一隅の教育の輪のようにも思えた。そこにかかわり合った人々が、何かを与え合おうとする環境にも見えた。

何十回くり返しただろう。しっかりと結ぶことのできた「ふろしき」を両手でしっかり抱え、ゆっくり顔を上げたとき、その目には白く光るものがあった。

「ありがとうございました」感動的なお礼の言葉であった。

その喜びは、少女のものだけではなかった。例の婦人が「よくがんばったね」と励ましの言葉を送った。少女はながすぎる程の黙礼をして下を向いた。

ここに本当の「思いやり」を見ることができた。

とかく「思いやり」の不足がちな現実に、美しい物語を見たような気がした。

自分という人間を絶えず追求し、困難や障害を克服して、自己の必要な経験を果たそうとする少女の行為に深く感動した。

自己を、生涯にわたって教育し続ける意志の形成がさけばれる今、自己教育力の礎をここに見たような気がした。

苦しみに耐えて、力強く生きる姿が私たちの心を強く打つ。

(いわき市立夏井小学校教頭)

 

母の味

三瓶光子

 

ます。手料理のあたたかさをしみじみと感じさせてくれるものばかりです。

 

大正生まれで農家育ちの母は、旬の味をよく知っていて、季節の香りをつけこんだ即席づけや、野菜をふんだんに用いた料理が得意です。寒い季節がくると、大根のひきな妙りや白菜、にんじんなどを魚といっしょに煮こんだもの、凍豆腐の煮つけなどを気軽につくってくれます。手料理のあたたかさをしみじみと感じさせてくれるものばかりです。

母の味は、食べることの満足感ばかりではなく、体調を整え生活のリズムの基になるものでもあります。かぜひきで、食欲がなくなっている時、真綿のようなおかゆと、ニラ卵汁の滑らかさを通して、母の愛が身体いっぱいにしみてくるようで、かぜの回復を早めてくれたものです。

このごろ、特に"母の味"をかみしめるようになってきたのも、背をまるめ、厚手のくつ下をはいて台所に立っている母(いまもいっしょに生活している実母)の姿にじ−んとするものがあるからです。

大根をつけたり、干し柿をつるす母の手の荒れや指の関節の変形が最近とくに目立ってきたような気もします。

私が子どものころのおやっといえば、さつま芋をふかしたものや焼きおにぎりなど、素朴な味のものでした。また、真赤に熟したグミの実などは今でも懐しく思う味の一つです。

このころでは、おなかがすくと、いつでも手軽に、自分の好きな食べ物を口にすることができるようになり、独特の味というのは、名のある店の名物の味と思われているきらいがあります。

子どもたちへの手づくりのおやつもスナック菓子におされ、手早く空腹を満足させるものに目がゆきがちで、テレビのコマーシャルにのせられて食べているように思います。

私も二児の母でありながら、手づくりのおやつ一つつくってやれない母親である自分自身を腹立たしく思うのです。

帰宅すると、「うまいこ(おいしいもの)は……?」とおやつをねだって走りよってくる長女。

母からの味わいとして学んできたことを、自分の子どもたちにどのような味として伝えてゆくかが、私のこれからの大きな務めのような気がするのです。

年老いた母に、いまだにおんぶにだっこの私。でも、わが子の子育てをしてみて、私なりの味づくりに努力してみようと考えるようになってきた私です。

(福島市立大鳥中学校養護教諭)

 

K君との出会い

安藤トキ

 

ワした。K君は難病のため両下肢機能に著しい障害があり歩行ができません。

 

「ゆっくり ゆとり 確かな運転」と自問自答しながら車上の人となり、早朝に市内のラッシュ時を避けて静かな山なみを幾つも越え目的地に向います。訪問時間調整の休憩を目的地近くで取ります。在宅訪問教育、四月からK君の担任になりました。K君は難病のため両下肢機能に著しい障害があり歩行ができません。

あいさつをし、家族との話し合いを

 

 

 


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