教育福島0123号(1987年(S62)08月)-007page
提言
昭和五十四年 特選
昭和五十五年 無鑑査
昭和六十一年 入選(二十四回入選)
なお、現在は会津美術家協会常任理事、日展会友、工和会会員として活躍中である。
い時や辛い時がありましたが、両親の無言の教訂があったために、心も新たに頑張ることができたのだと思います。私も父母の年齢に近づいてきました。親から私に伝えられた数々の教えを私から子どもにバトンタッチできれば、こんな嬉しいことはありません。
京都、石川県、香川県には優秀な作家の方々が大勢おられます。地元には美術工芸大学があり、松田権六先生を初め立派な先生方が指導しておられて、若い人達が育つ環境が整っているのを、私は本当に羨ましく感じます。勿論、作家として製作活動をするには、どこに居ようと同じで、その意味では、私も京都や金沢の作家には負けたくないと思っているのですが、この地に何百年と続く伝統を大切にしたいと思う時、このままではいけないと考えるのです。さしあたっては、会津短大を四年制の大学にして、そこで私達の子弟が地場産業の漆芸、陶芸、その他の美術関係の勉強ができるようになればと願っています。
私達が若い頃、輪島に追い付き、追い越そうと、会津工芸新生会を発足させました。後輩の人達が付いて来てくれるようになるためには、私達の製作態度や精神のあり方が問題になると考えます。この道の先輩としての責任を果たしていけば、若い人々の力を結集して、いっかは輪島を追い越す時もあるのではないかと思っています。それとともに、先人が築き上げた伝統を正しく受け継ぎ、新たな創意と工夫によって更に完成度を高めて、それを子孫に伝えるという営みがどんなに素晴しいものであるかということを、一人でも多くの人に理解して欲しいとも願っているのです。
私には自分で幸福だなと思うことがあります。懸命に製作した作品が今後永久に残るということです。だからこそ自分に厳しく真剣に製作しなけねばならないと考えます。会津の風土の中で長く育まれてきた漆工芸の伝統の上に、私自身のこれまでの創作活動の成果を重ね合わせていくことで、これからが私にとっての真の作品が生まれる時期になるのだとも考えます。そのことを自分に言い聞かせて頑張っていきたいものだと思っています。
恩師の佐治賢使先生(右側)と
漆工芸の製作にうちこむ筆者