教育福島0123号(1987年(S62)08月)-025page
随想 ずいそう
M先生ありがとう
和知幸子
昨年の大晦日、我が家に、一箱のダンボールが届けられた。開けてみると、かまぼこをはじめ、鶏肉、みつ葉など、正月の台所には欠かせない品々が、ぎっしりと詰まっていた。
私は、暮れに健康を害し、二十九日に退院したばかりだった。正月の買い物には、おそらく出られないだろうという、M先生の心づかいであった。
職員クラブが、こんなに楽しいものだということも、M先生に教えていただいた。学期ごとの当番が、あらん限りの知恵をしぼって、皆に楽しんでもらえる会を作り出す。準備なしで楽しもうなどという、安易な考えは許されない。綿密な計画と周到な準備があってこそ、心に残る盛り上がった会が持てるのだということを。
同僚の結婚式。マイクロバスを仕立て、楽器を積み込んでおしかける。私たちからのプレゼントのフィナーレは、職員合奏である。紋付姿の花婿がボンゴをたたき、着物を着てコンガ等を演奏する姿に、満場の拍手がわきあがる。もちろん、M先生の発案である。
全校児童、二百三十一名の小規模校であった。この地域の子だから、このくらいしかできないだろうと、つい手を抜いてしまいがちである。すかさず
「パーフェクトをめざそう。もっとがんばろう」と、M先生の厳しい助言。
『児童は、その信頼する教師の要求するところまで伸びる』ことを、教えていただいた。
そのような徹底した指導があったからこそ、一年生でも、六十分間の、市内の鼓笛パレードに耐えることができた。更に、一時間はたっぷりかかる卒業式に、微動だにせず、参加することもできた。そして、卒業生退場で涙を流し、臨場していなければ味わうことのできない感動を、一年生も味わっていたのである。一年生担任は、M先生であった。
M先生は、
『とうとう三十二年もの間、たった一度も満足できる授業ができなかった口惜しさ。もっともっと、本気でがんばらなければならなかった努力不足……悔いのみが大きく残りました』という言葉を残し、この三月に退職された。私たちの職場で、最も若々しく、最もはりきっておられた先生であった。
そして、私も、この四月から、新しい学校に移った。
どんなにがんばったところで、M先生の足もとにも及ぶまい。しかし、七年間のM先生とのおつきあいで得た貴重な体験を生かし、一歩でも、M先生に近づけるように、努力して行きたい。M先生のかかげてこられた、理想の児童像を見失うことなく。
(東村立釜子小学校教諭)
季節感について
高野忠夫
私の趣味の一つは、山菜を取りに山や野原に出かけ散策することです。
早春の暖かな日、山間の田の畦などをまわって、まだつぼみのかたいフキノトウを摘み取ってきて、これを食膳にのせてその香りを楽しむことから始まり、桜の花の開花とともに私の山菜取りは忙しくなります。
コゴミ、ウルイ、シドキ、タラノメ、コシアブラ、ヤマウド、ジダケ等々、そして、秋には、八月末より、ナラタケモドキに始まって、サクラシメジ、ウラベニホテイシメジ、コウタケ、ハツタケ、ハエトリシメジ、マツタケ、シメジ、クリタケなどのきのこというように、その季節ごとの山の幸を取ってきては、これらの味や香りを楽しんでいます。
以前は、八百屋の店頭に並ぶ野菜も季節ごとに変わり、食膳に並べられた