教育福島0123号(1987年(S62)08月)-027page

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ていなかった。いつも注意していたのに」と自分の責任を転嫁していたのではないか。その生徒一人一人の個性を見抜き、その生徒に合った優しさや厳しさがあってはじめて、生徒は大輪の花を咲かせてくれるのだろう。

どんな立派な一言よりも、いつも暗い廊下に絶えることなく飾られる花や教室のインパチェンスが、会津の冬を迎えるまで咲き続けてくれることのほうが、もしかしたら、たくさんのことを生徒の心に教えているのかもしれない。クラスのインパチェンスを立派に育てられる先生にならなくては……と思うこのごろである。

(会津若松市立第二中学校教諭)

 

五月の風に思う

 

渡辺吉惟

 

が飾られている。ふと気がっくと、飲みかけのコーヒーが冷たくなっていた。

 

さわやかな五月の風が窓辺を吹き抜けるある日の夕方、私はいつものように、アトリエの中でぼんやりと椅子に腰をおろしていた。部屋のまわりの壁には、数年前に旅したパリやモンマルトルのスケッチ画やアンチックな時計、人形などが飾られている。ふと気がっくと、飲みかけのコーヒーが冷たくなっていた。

 

こんなふうに書くと、いかにも優雅で、ゆとりのある生活をしているように思われるかも知れないが、事実はそんなものではない。アトリエといえば大変きこえはよいが、作業部屋である。描き古しのキャンパスやスケッチブック、絵具や額縁、おまけに前任校から転出の際に運びこまれたままのダンボールの箱などが、足の踏み場もないほど積み重ねられているのである。しかし、このアトリエに一歩足を踏み入れると、妙に心が安らいでくるから不思議である。

思えば、この部屋で何枚の絵を描きあげたことだろう。過去五回の個展の作品はもちろんのこと、県内外の公募展や会員展、そして、地区の中教研美術部のグループ展などの作品は、ほとんどこのアトリエから生まれたものである。この十年間にその数は三百枚を越えたことだろう。百号の大作から、はがきほどのミニサイズまで、我ながらよく描いたものである。

ところで、知人や生徒たちから「多忙な毎日の中で、いつ絵を描くのですか」と尋ねられることが多い。私は大体夜行性動物的なところがあるのかも知れないが、制作はほとんど夜中である。夕食を終え、午後八時ころから活動を開始し、興にのると翌朝の五時ぐらいまで描き続けてしまうことがよくある。その間、ほとんど休みもとらず、まさに流行の一気飲み、いや一気描きなのである。これは、私の使用しているアクリル絵具が速乾性であることと合わせて、私の凝り性、つまり、始めたら熱中してしまう性格とが成せる業なのである。以前に百号の風景画を二晩で描きあげたこともあるが、最近はさすがに年齢は争えないものと感じている。

さて、私が一番楽しみにしていることが一つある。それはこの夏のヨーロッパスケッチ旅行である。ギリシャ、イタリヤ、スペイン、フランスヘの十五日間のフリータイムを、まるで修学旅行の前の中学生のように心はずませているのである。十年前に訪れたパリやトレドやローマの街に再会できる日を、そして、初めて見る地中海の島々やパルテノン神殿へと夢がふくらむのである。

幸いにして健康に恵まれ、また、先輩や同僚のあたたかいご指導とご配慮、さらに家族の理解と協力により、制作活動が続けられてきたことに感謝したい。今後も美術教師であることに誇りをもって、生徒たちと絵づくりに励んでいこうと思っている。

(福島市立清水中学校教諭)

 

思い出の街ローマのスケッチ

思い出の街ローマのスケッチ

 

教育のすばらしさ

 

根本正

 

大平洋の白波と白亜の塩屋崎灯台を望む豊間に、国立療養所翠ヶ丘病院が

 

大平洋の白波と白亜の塩屋崎灯台を望む豊間に、国立療養所翠ヶ丘病院が

 

 

 


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