教育福島0123号(1987年(S62)08月)-029page

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でしょうか。そんな心の叫びが、ゆがんだ形で表れたのが、数々の問題行動のように思えてならないのです。

ともすると大勢にしたがうことが美徳とされてしまうような現代の中で、ジョナサンになろうとするには強い意志と勇気を必要とします。ジョナサンを目指して集団から疎外されるのならば、日々の餌に振り回される多くのかもめでいた方がいいという風潮が強いのです。しかしそんな時代だからこそ、障害を乗り越え、翼をのびのびと広げて、力強く大空へ飛び立つジョナサンをはぐくむことの重要性が、胸に迫ってくるのです。

「かもめのジョナサン」は、あるときジョナサンがふと気づくと、第二・第三のジョナサンが次々と大空へ舞い上がっているという状況で結ばれており、その扉には「われらすべての心に棲むかもめのジョナサンに」と書かれています。

今年もまた夏が巡り、限りなく青を極めた夏空には、かもめがその姿を白く描きこんでいくことでしょう。私に「かもめのジョナサン」を教えてくれた人を思い出すときは、いつも夏の青空が目に浮かびます。私の心に棲むジョナサンを飛び立たせるために、大きな力を与えてくれたのもその人です。生徒にとって、私もそんな存在でありたいと願いながら、教師になって初めての夏を迎えます。

(いわき市立永井中学校教諭)

 

慣れと惰性の戒め

 

伏見泰子

 

謔、に、子どもたちをいろいろな型には'め込んで見る傾向はないでしょうか。

 

私たち教師は、とかく、あの子は積極的でないとか、仲間にとけ込めない子だとか、わがままな子だとかいうように、子どもたちをいろいろな型には'め込んで見る傾向はないでしょうか。

幼稚園教師として初めて子どもたちの前に立ったころは、果たしてこの子どもたちは私を好きになってくれるだろうか、私の言うことを聞いてくれるだろうかと毎日不安な気持ちの連続でした。でも、自分なりに一生懸命がんばらなくてはと心に言い聞かせながら、常に笑顔を絶やさず、子どもたち一人一人を新鮮な目で見ることに心掛け、そのよさを見つけて伸ばそうと必死になって取り組んできました。そうしたなかで幼児教育の何たるかが分かりかけてきた教職経験十年目の四月、私が担任した年少組に、Y君が入園してきました。Y君はいたずらが絶えず、友だちと仲良く遊ぶことができない上、何事にも意欲を示さず、ほとんどお話をしない子どもでした。そんなY君でしたので、他の園児たちからの、Y君についての告げ口は、日常の出来事となりました。日がたつにつれて、私までも、Y君はどうせ○○○だからと、半ばあきらめ加減になっていました。

ところが、ある日のこと、テレビも落ちついて見ることのできなかったY君が、テレビから流れる「仲良しリズム」の音楽に合わせて、手拍子をしながら歌を歌っていたのです。ある女の子の「Y君が声を出しているよ」の声に、みんなは驚き、振り向いてY君を見たのです。日に日に集団から遠ざかるY君のことが気がかりになっていた私は、一瞬、「今がチャンスだ」と思いました。そこで、「みんなでY君のように手拍子を打って遊ぼうよ」と言うと、Y君はほほ笑み、みんなと一緒になって遊び出したのです。これがきっかけとなり、Y君は徐々にではあるが集団の中に入って遊ぶようになり、性格も明るくなってきました。

この時、私は、新任教師時代のあの新鮮な目で園児一人一人を見つめ、理解し、指導しようと必死になって努力したころのことを思い浮かべると同時に、すっかり慣れと経験に頼り過ぎ、園児一人一人をよく観察し、理解しようとする感覚が鈍くなっていた自分に気づき、反省させられました。

園児の新しい一挙手一投足から絶えず一人一人を正しく理解して幼児教育に当たらなければならないことは分かっていたつもりでした。しかし、Y君に限っては、一つの型にはめ込んで、理解したつもりになっていたことが悔まれてなりません。

今後は、慣れと惰性に陥ることを強く戒め、新任当時のあの新鮮な目で園児一人一人を見つめ、生涯学習の出発点である幼児期の教育に専念したいと考えています。

(相馬市立飯豊幼稚園教諭)

 

自分を生きるということ

 

鈴木順子

 

家でも以前から愛読していたマンガなので、「さもありなん」とうなづいた。

 

最近、ある新聞に、連載中のマンガの主人公の飼い犬に人気が集中し、ファンクラブまでできた、という記事が載った。我が家でも以前から愛読していたマンガなので、「さもありなん」とうなづいた。

自分の願いを分って欲しい、自分も

 

 

 


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