教育福島0123号(1987年(S62)08月)-035page
かる」「できる」と答えるが、実際やらせてみるとすぐあきらめて投げ出してしまう。テレビや絵本等の間接経験だけで、「わかる」「できる」と錯覚してしまい、直接の経験が極めて少ない。人間の知識・技能は遺伝することはなく、すべて後天的な学習一先行経験)を土台として発達していく。便利な社会にあっても、物を創り出す技術や技能は伝えていきたいものであるし、道具を使った物づくりは、想像力を大変豊かにする。
特に手は外部の脳と言われ、手を使うことが脳の発達を促し、また、脳の発達が手をうまく動くようにしてくれ、創る楽しさを味わわせてくれる。そして、幼児は本当にわかってきたりできるようになってくると、必ずそれを自発的にやってみたいという欲求をもち、それを実現させようとする。従って、そのような自ら直接体験する場を計画的意図的に設定する必要がある。
(2) 自然との触れ合いの重視を
自然に対するみずみずしい感受性が乏しくなってきていると言われる現在、積極的に園外保育を実施し、野外の本物に直接触れる活動や、自然と直接対面する場の設定を意図的、計画的に行う必要がある。土の感触、草花の香り、若葉のそよぎ、虫や鳥たちのささやき等に触れさせることは、万言を費やしても語りきれない。
また、幼児期に自然事象や社会事象について、「見る」「聞く」「触わる」「ためす」等の、体を通した生の体験を数多く与え、生活実感を通して知的なものへの興味や関心を育てることは、学習意欲や学習態度の基礎となる知的好奇心や探求心を涵養することに連なるので、教師は機会をとらえ努めて外へ出ることを心がける必要がある。
(3) たくましい心身の育成を
都市化現象に伴う危険箇所の増大や、幼児の遊び場の減少等により、幼児の運動機能が著しく低下していると言われる。しかし、体力が劣ると言って技能をトレーニングし、訓練的に鍛えるという考え方は、この時期の幼児には適切でない。からだは単に肉体だけの存在ではなく、ものごとを感じたり、表現したり、行動したりする機能をもっており、特に幼児期においては、さまざまな感情をからだ全体で表出する特徴がある。日々の生活の喜びをからだ全体で受けとめ、ある時はリズミカルに、そしてある時はそのものになりきって精一杯からだを動かす楽しみをより多く味わわせていくことが、自ら進んで活動しようとする意欲を高めるのである。即ち、幼児に自分の手や足で自分の世界を広めていく喜びを実感させることが、その後の運動能力の発達や精神力を高める上に大きな役割を果たすことになるので、教師は種々の素材や体験の場を工夫して、豊富に与えていく必要がある。
楽しく楽器で遊ぶ園児たち
(4) 道徳性・社会性の芽生えの重視を
核家族化や少子化による高齢者や兄弟姉妹との触れ合いの機会の減少、更に地域社会における遊び集団の崩壊等により、望ましい社会性を育成することが困難になってきている。
幼児期は、好きな友達や先生と生活する中で、人を愛することや信じること、共に喜び心配し合うこと、力を合わせて一つの事を成し遂げることの大切さ等を体感していく。この時期は、誰とでもと言うよりは好きな人と楽しく遊ぶ体験をより多く持たせることが、最も教育的な意味を持ち、豊かな遊びの中で十分に自己発揮をし、好きな友だちと安定して遊んだ幼児は、将来にわたって積極的に人と交わろうと努力するようになる。また、さまざまな経験や活動の中で、友達へやさしい言葉をかけたり温かい思いやりの行為をした時、教師はそれを見落すことなくていねいに拾い上げ、認め励ましてやることが、社会性・道徳性の芽生えを一層育くむことに連なることを深く認識する必要がある。
(5) 豊かな感性の練磨を
幼児期は感受性の強い時期である。この時期に豊かな情操を養うには、優れた遊具や文化財をもとに、幼児の自発性を促す豊かな環境を構成することが必要である。ここで言う“豊か”という意味は、人的にも物的にも単に“ふんだん”ということではなく、現在の幼児に適した刺激のある環境を用意することである。その中で、美しいものに素直に感動する心、人の喜びや悲しみに共感できるしなやかな心、善い行いをした時には快く、悪い行いをしたときには心に痛みを感じるような豊かな感性をもった幼児を育てるために、教師は絶えず環境構成を工夫し、一人一人の幼児の心のひだに残る感動体験を与えるよう、専門職としての自覚と創意を働かせる必要がある。