教育福島0124号(1987年(S62)09月)-006page
提言
国語政策と「漢字罰」
福島大学教育学部教授 渡辺義夫
【筆者紹介】
渡辺義夫・わたなべよしお
昭和十一年 東京に生まれる
昭和三十八年 東京教育大学大学院文学研究科一修)卒業
昭和 四十年 東京成徳短期大学国文科講師
昭和四十一年 福島大学教育学部講師
昭和四十五年 福島大学助教授
昭和五十六年 福島大学教授
「漢字罰」というのがあるそうだ。宿題をわすれたり、クラスできめた約束をまもらなかったりした児童に罰として課す漢字のかきとり練習である。
はじめに罰としてあたえられた、何字を何回ずつかいてこいという課題をやってこなかったために、さらにおなじ罰が加算されていって、卒業までにそのつみのこしが一万字に達したというケースもあるそうだ。この話をきいたとき胸がいたんだ。サラ金地獄のことが頭にうかんだ。こどもはどれほどつらいあきらめの毎日をすごし、どれほどの負担感をいだいたまま卒業していったことだろう。
おなじ罰ならすこしでもムダにならない罰を、という単純な発想なのか、または、いちばんいやがる課題が罰としてもっとも効果があるという判断からなのか、その両方をふくんだ意識からなのか、いずれにせよこの作業は、友だちときそって練習するばあいとは事情を異にしていて、何の効果もうまないことは、教育学・教育心理学の諸理論をひきあいに出すまでもなく明白だ。
毎日工夫をこらして理解と定着をはかっている、ほかならぬその学習内容を、罰として課するという教師の錯乱は、いったいどこからくるのだろう。そのために漢字にたいする学習意欲が失われてしまうマイナスを刻々ふやしながら、毎日、義務教育としての基本漢字の定着を、おちこぼしなくすべてのこどもに保障する責任を、いったいどうやってはたすことができる目算をもってのことであろうか。