教育福島0124号(1987年(S62)09月)-007page

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戦後の国語政策の柱は四つあった。現代かなづかい(昭和21年公布)、一八五〇字の当用漢字表(昭21)と八八一字の当用漢字別表(俗称「教育漢字」・昭23)、当用漢字音訓表(昭23)、送りがなのつけ方(昭34)である。これらは全体として将来の日本語の表記を、できるだけ漢字にたよることのすくない、合理的なすっきりとわかりやすいものにしていこうという方向であった。

昭和四〇年代に入ってからは、これに一定の歯どめをかける方向で、国語審議会のもとで改訂がすすめられた。世に「表音派」にたいする「表意派」のまきかえしといわれた。時代のながれの変化がそこに反映している。この改訂は、公布の順とは逆にすすんだ。改定送り仮名の付け方(昭48・公布から一四年目)、当用漢字改定音訓(昭48・二五年目)、一九四五字の常用漢字表(昭56・三五年目)とつづいて、昨年の改定現代仮名遣い(四五年目)で一段落したわけである。“教育漢字”だけはこの手つづきによらず、小学校学習指導要領の改訂というワクの中で「付表」として九九一字にふやされた。

こうして“目安”として、漢字数のタガがゆるんだ風潮の中で、今年も小学生までまきこんで写植文字メーカーの主催による漢字読み書き大会が七月にもよおされ、「掛錫・粗髯・贔屓」などが新聞で物議をかもした。

漢字をたくさん知っている者ほど“優秀”であるという世間の波におされて、義務教育現場の教師はいきおい、暗記と練習に追いこまれ、地道でていねいな指導手順の工夫がなおざりにされがちである。“教育漢字”の学年配当の不合理がそれに輪をかけている。

文部省がこの七月に学年別漢字配当表の全面見なおしにふみきったことに、その意味で期待したい。学年ごとの、合理的な“義務漢字”があらためて確認されれば、その学年の教育内容をつみのこしのままつぎの先生にまわしてしまう、あるいはそうせざるをえないことの問題点がいっそうはっきりしてくるだろう。そのとき「漢字罰」の反教育性は父母の目にもみえてくるにちがいない。

 

あすの教育を担うために学び、そして語り合う若者たち

(福島大学にて)

提言

 

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