教育福島0124号(1987年(S62)09月)-023page

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随想ずいそう

 

話上手なおばさんに

 

話上手なおばさんに

 

国分宮子

 

「うわっ、先生が泣いた」

 

「うわっ、先生が泣いた」

「先生泣くの初めて見た」

「かわいそうなお話だけど、そんなに悲しいかなあ……」

シーンと静まり返った教室のあちこちからこんなひそひそ声が聞こえてきた。でも、私は流れ落ちる涙をぬぐうことも、子どもたちのひそひそ話を制止することもなく大川悦生作「お母さんの木」を読み続けた。校庭に落ち葉が舞う去年の晩秋のことだった。

 

本校は、業間やゆとりの岳小タイムに読書指導を行っている。その日は、「お母さんの木」の集団読書の一時目で、読み聞かせをしていた。事前に二・三度作品に目を通し、あわれな母親の愛情、戦争の非情さと平和の尊さ、平和を守りぬくことの大切さに心うたれていた私であったが、学級の子どもたちの前でこの作品を読み始めた途端涙々で一時間終了のチャイムの音を聞くことになってしまった。子どもたちの多くは、思いがけない担任の姿にばかり気をとられ、作品を「共体験」するどころか、作品の内容さえも満足にとらえられない様子であった。初発の感想を発表させることもそこそこに、「一人読み」に入らせた。

夕食後のひととき、この出来事を主人に話すと、「お前、それでも教師か、指導者か。今日のお前は指導者ではない。一人の母親にしかすぎない。読書指導の時間だったらもっと指導者らしくしろ」との手きびしい言葉に、とても反省させられた。その後、一向に、「たしかめ読み」にも「まとめ読み」にも入ろうとしない担任に子どもたちの何名かはしびれをきらし、学級文庫の中から「お母さんの木」を取り出して読んでいた。

今年の六月、国語科で「一つの花」を取り扱った後、「広げ読み」として、集団読書をすることにした。「お母さんの木」の読書をすることを知った学級のYやKの「先生、泣ぐぞ。泣ぐぞ」の声を無視して読み始めた。今回は、自己陶酔してしまった前回とは違い、涙はこみ上げて来たものの一粒も落ちては来なかった。主人のあのきびしい声があったためだろうか。指導後、大部分の子どもたちは、「母親が子どものことをこれほどまでに大事にし、心配しているとは思ってもみなかった」「多くの人々を巻き込む戦争を二度とやってはならない。絶対起こしてはならない」と、感想を述べていた。

 

これらの体験から、自ら感動して読み聞かせるのもよいだろうが、時には冷静になって対処すべき時があることを知った。また、教師である以上、子どもたちの感動や情感をゆさぶることができるような話上手なおばさんに徹したいとつくづく思う。

(二本松市立岳下小学校教諭)

 

オーストラリア国民に学ぶ

 

オーストラリア国民に学ぶ

 

松本久芳

 

初めて訪問した国。オーストリア、今でも私の脳裏に深く刻みこまれている。

 

なだらかな丘に、緑の筋がゆったりと幾重にもうねりながら果てしなく続く、ポツ、ポツと点在する農家の窓に灯がともり出し、たそがれの煙がゆったりと大空に消えてゆく、音楽が自然の中から生まれてくるような国、私が数年前、海外研修の機会に恵まれ、初めて訪問した国。オーストリア、今でも私の脳裏に深く刻みこまれている。

道路にゴミ一つ落ちていないウィーン市内、クラクションを鳴らさないで走る車、森や公園から人なつこく寄ってくるリス、どこからともなく現われて、ドナウ河畔の散歩を楽しむ老夫婦の姿、私たち日本人に会うと親しみやすく話しかけてきて、切符まで買ってくれる人、そのゆったりとした物腰、相手に対する思いやり、寛大さなど、どこから培われてきたのかと不思議でな

 

 

 


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