教育福島0124号(1987年(S62)09月)-024page

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らなかった。

ところが、ある日、こんな場面に出会ったのである。友達と二人で買い物に出かけ、その帰り道に本屋に立ち寄った。何冊かの本を手にとって書棚に返したとたん、ものすごい剣幕で私を怒鳴りつけたのである。私は、これと言って、相手の心を傷つけることは何もしていないので、ただ、おろおろしていると、私に近寄って来て、手真似をして教えてくれたのである。「あなたは、ここから本を取った。なぜ、元のところに返さないで別の場所に入れたのか」と言うことであった。このおじさんの厳しい一面に出会うと同時に、自分の行為の恥ずかしさを感じずにはいられなかった。

翌日からの学校訪問では、生徒と教師がしっかりとした心の絆で結ばれている授業、校内にはチリ一つなく、美しい環境の中で生き生きと学習に取り組んでいる子どもの姿に接することができ、何かオーストリアの自然の美しさと一致しているように思えてならなかった。

どの訪問校の校長先生も「自分だけが生活しているのではない、他人の中で生活しているのだ」を強調し、最後の訪問校では、「規律のある学校には、自由が保障され、自由の中から規律が生まれる」という生徒指導の先生の話を聞き、本屋さんとの一件もよく理解できた。また、オーストリア国民が長い歴史の中で、幾多の困難にも屈せず、国民が一体となって国を愛し、すばらしい文化を伝承してきたこともよく理解できたのである。

今回の研修で五か国、十都市を訪問させていただき、日本は確かに、経済大国、先進国と言われるまでに成長し豊かな国であることを肌で感じ自分の目で確かめることができた。しかし、外から日本を眺めたとき、今一番必要なのは「心の豊かさ」ではないだろうか、年々国際化が進展する中で尊敬と信頼を得る日本人の育成こそ大切であり、二十一世紀に生きる現在の児童・生徒の教育に微力を尽したいと考える昨今である。

(県教育庁保健体育課指導主事)

 

たった一人の一年生

 

蛇石和枝

 

児童七名の小さな分校がある。私が、新採用教員として赴任した学校である。

 

柳津町の中心から、車で四十分ほど、山の中へ入ったところに、全校児童七名の小さな分校がある。私が、新採用教員として赴任した学校である。

四月、今年は暖冬で雪が少なかったとはいえ校庭は一面まつ白で、体育館の裏には、背丈よりも高く雪が残っていた。私はここで、たった一人の一年生を担任することになった。長靴をはいて雪の中を校舎へと向かう時、胸の中は、たった一人の子どもを相手に、いったいどのようにすごせばよいのかどんな授業をすればよいのかと不安でいっぱいになった。

心配をよそに、一年生のS君は元気いっぱいの男の子で、すぐに「へびちゃん先生」と慕ってくれた。上級生も休み時間のたびに教室に顔を見せ、一緒に遊んだりしてくれ、私も安心していた。

そんなある日、私は、授業開始の鐘がなっても、もう少しで終わるやりかけの仕事があり、教室に行けないでいた。待ちかねて職員室に呼びにきたS君に、「あと三分で終わるからね」と教室へもどした。仕事が終わって教室へ入ると、S君は教科書も出さずにうつ向いて座っていた。そして、私の顔を見ると、パッと顔をほころばせた。私は、ハッとして後悔した。自分の目先の都合ばかり考え、S君の気持ちを思いやるゆとりがなかったのである。どんなにか、心細い思いをしていたであろうに。

赴任した時に、校長先生から、「教師としてだけでなく、時には母親のように、姉のように、友だちのように接してあげるんだよ」という言葉をいただいた。この言葉を心に刻み、S君が今、何を必要としているのかを常に忘れてはいけないと思い知らされたできごとであった。

七月十三日、「ドンツク、ドンツク」「何の虫も送るぞよ」と、分校の伝統的な行事、虫送りが行われた。S君は大声を上げ、笑顔で、色とりどりの花で飾られた虫かごを担いでいる。虫送りが終わると分校も本格的に夏。たった一人の子どもが愛らしく、未熟ながらも、私にできる限りの指導をしてやりたいと意欲を燃やしている今日このごろである

(柳津町立西山小学校琵琶首分校教諭)

 

分校の伝統的行事「虫送り」

分校の伝統的行事「虫送り」

 

 

 


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