教育福島0124号(1987年(S62)09月)-030page

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先生、ありがとう。ぼく、やっぱり水泳やっていてよかったよ。いい記録はでないかもしれないけど、中学校へ行っても、できるだけ水泳やるよ」

その後、いくら「聞こえないんだよ」と言われても、やっぱり大声を出して応援をせずにはいられなかった。そして水泳大会が巡り来るたびに、聞こえるはずのない声をはり上げている教師の姿に、聞こえるはずのない声を聞きながら全力をつくす子どもたちの姿に胸を熱くしているのである。

期待したり、押しつけたりすることなく、ただひたすらにお互いを信じ合えるのが、教師と子どもたちとのきずななのであろう。

 

「先生だったらね、きっとそうしろって言うに決まっているよね」

六年生の初めに転校していったRさん。夏休みの行事の登山の時だったそうです。途中から大雨に降られ、下着までびしょぬれで、くたくたにつかれているのに、自分より遅れそうになる友達のリュックを三人分も背負い、泣き出してしまった友だちの手を引いて下山したのです。クラスの仲間の集団よりもはるかに遅れて到着した時、担任の先生より、理由も聞かれずに叱られたそうです。くやしくとも、言い訳ひとつせず、じっと耐えて帰宅し、ぬれた衣服もそのままに、お母さんに泣きついて行ったということです。自分よりも遅れそうになる友だちを、どうしても見ぬふりはできなかったと、どうしても知らないふりして追い越せなかったと。泣きながら語ったという。

「先生なら、きっとリュックを背負ってやれ、手を引いていってやれ、少しぐらい遅くなってもいいぞ。気をつけてこいよと言ったよね。先生なら、きっと言うと思ったから、私はそうしたんだよ」

母親からの手紙は、便箋十枚にも及び、最後はこう結ばれていた。

「これからもこの娘は、自分がどうすべきかという時には、先生の言葉を思い出して判断することと思います。このような娘に育ててくださった先生と、S小学校の教育に感謝しております」

人一倍勝気で、自己主張も強く、授業面でもかなり活躍してくれたが、手こずらされたことも多かったRさん。

 

教室、いや学校内外の教育活動のすべての結果は、一人一人の子どもたちが一人の人間として生きる時に、どう考え、どう対処して行くかという時に出るものである。子どもの力は、教師一人一人の信念と情熱にはぐくまれ、学校という教育活動全体の中で培われていくものである。子どもたちは、六年という長い時間の中で、多くの教師に、多くの友だちに出逢い、たくさんのふれ合いの中から、自分の生き方をみつけ出していくのである。

「ぼくも昔は、かっこいいこと言ったんだね」

と、てれ笑いするS君と

「先生、年じゃない」

と、くすっと笑うであろうRさんの二人の顔が目に浮かぶ。

がむしゃらにすべてに取り組み、夢中で過ごしてきた時間をなつかしむ年になったようである。

(白河市立白河第二小学校教頭)

 

一つ一つの経験が子どもたちの生きる力に

一つ一つの経験が子どもたちの生きる力に

 

表紙写真について

 

ハクサンチドリ(ラン科)

亜高山帯の湿った草地に自生する。本県では吾妻山を始め各高山でよく見られる。ハクサンは山の名、チドリは花の形が千鳥が群れ飛ぶ姿に似ているとして名づけられた。(撮影地・吾妻山)

 

ニッコウキスゲ (ユリ科)

高層湿原などに大群落を作り、開花期には一面が黄色に見えるほどになる。本県では尾瀬や雄国沼・田代山などが有名である。平年の雄国沼での見ごろが七月第一日曜日、尾瀬では二〜三週間遅れる。(撮影地・雄国沼)

 

オゼコウホネ(スイレン科)

漢字で書けば尾瀬河骨で、根茎が白骨のような形であるためにこの名がある。本県尾瀬ヶ原の池塘の特産で、黄色い花弁のように見えるのはガク片であり、その中に小さな花弁がある。(撮影地・尾瀬ヶ原)

 

 

 


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