教育福島0126号(1987年(S62)11月)-018page
それ自体大変すばらしいことですが、一方人間がそれに頼りすぎると人生にとってはマイナスであります。自分の人生は最後まで自分の足で歩いてゆく、自分のエネルギーで人生を最後まで全うする、それが重要であり今求められていることではないでしょうか。
今の社会においては、年をとった人間に誇りがありません。それは、年金等の自己以外のものに守ってもらっているからではないのでしょうか。その背景には、年をとることをマイナスとする考え方がありましょう。老年という時期を充実させるためには、年金をもらわないということは実際にはできないでしょうが、年金に頼りすぎると意識の変革が必要になると思われます。
定年制度のない職業についている人の中には、六十歳・七十歳になっても精かんさを有し気力にあふれ、「あの年で大したものだ」という評価を得ている人もおりますが、勤労者というものはいわばエスカレーターに乗っているようなもので、エスカレーターの終点にきて、さあこれからは自分の足で歩いていかねばならないという時に、急にとまどってしまう人が多いようです。私たちは、折り返し点をまわれば自分の足で歩いていかなければならない、ということをまず覚悟しなければなりません。
ところで先生という職業は条件的には非常に恵まれている、と言うことができると思います。しかし、人間の生き方という面から考えてみると、恵まれた状況の中にいることが必ずしも良い条件にならない場合があります。その恵まれた条件の中に安住してしまうのです。人間は、少し不幸で少し不便だという状況の中で、その状況をさらに良くしようと思って必死にがんばってみる、結果的にそれがより良き人生へつながっていくという場合が多いのではないでしょうか。いわば不幸という毒を薬へと変えるのであります。
数十年と継続してきた先生という職業を、一瞬のうちに辞めるということはできません。そのためには、退職後の生活へ向けて少しずつ準備をしていかねばなりません。いわば心と体を退職後へ向けて慣らしていくことが必要となります。そして退職後に自分がやりたいことを見つけていくべきです。
学校の先生が退職後に何をすべきかということは、答えることが大変むずかしい問題です。例えば塾をつくる、学校をつくるということも一つの方法でしょう。何か新しいことをしなければなちないとしても、若い人と同じことをやってはいけません。若い人がやらないこと、やりたがらないことをやるべきです。自分の全人生を賭けてもよいものを選んでやってみることが必要でしよう。若者ができない、あるいはやれないものをつくり出していく、それが大事だと思います。その場合に、理屈を言ってはだめです。まずやってみなければなりません。寺田寅彦が随・筆で述べております。「頭のいい人は何かをしょうとすると、あそこにこういう危険がある、ここにこういう壁があるということはよく知っておりますが、まずやってみるということをしない、しかしそれでは駄目である」と。
退職後は、子どもの時におもしろくておもしろくてたまらなかったもの、しかし何かの事情があってその後できなくなってしまったものを思い出してそれを実行してみる、打ち込んでみる、そうすればある程度まで熟練することもできるし、長続きするのではないでしょうか。
また人間にとって一番いい時間は、朝の時間であります。高齢になりますと、朝の目覚めが自然と早くなりますから、この時間を有効に活用しなければなりません。この時間、とくに朝食をとるまでの時間に、自分のやりたいことを集中してやるのです。朝めし前の仕事、というと簡単な仕事というように辞書に載っておりますが、元々は朝食前の時間は人間にとって一番良い時間、最高の時間であるから、この時間に仕事、勉強をすればすばらしく能率があがる、ということです。朝食前の時間の活用は、若者に負けずに行うことができます。そして一日数時間でいいから継続していけば、かなりの仕事・勉強をやりとげることができるはずです。
また、先生として自分が教えていたことに関連するものを退職後研究していく、というのも一つの方法でしょう。例えば社会科の先生であれば地名の研究をし、国語の先生であれば方言の研究をする、そしてそれをまとめ上げていけば、りっぱな業績であります。
年をとってくるとへ楽しみを持つということも必要であります。仕事を離れてしまうと、退屈で時間をもてあますおそれも出てきまずから、自分の気を晴らしてくれるもの、自分にとってのおもしろい場というものをつくり出していくべきです。昔の人は、祭りという形で自分というものを解放し、大いに楽しんだものです。今では、例えば誕生祝いをする、あるいは年をとってきて勲章を受けること等が楽しみの一例でしょう。けれども高齢者にとって一番うれしいのは、誉められることです。そして誉めることは精神的勲章を与えることです。お互いの経験を話し合い、お互いに誉め合う、そのような場を持つことも大切ではないでしょうか。
最後になりましたが、折り返しという意味を考え、新しい人生の中で生きがいをもって進んでいきたいものです。