教育福島0128号(1988年(S63)01月)-023page

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随想 ずいそう

 

土のぬくもり

水野信

 

みや小さなつぼみがこれから伸びて咲こうと順番を待っているようである。

 

窓辺のやわらかい日ざしの中で、シクラメンの花が、淡い赤色に美しく咲いている。一枚一枚の花弁の形や色のつき具合にそれぞれ趣があって、魅了されてしまう。ふと、これになるまで丹精をこめて育ててくれた人の、花への慈しみがしのばれてくる。花と葉の間には、色づきかけたつぼみが並び、更に葉の下方では、伸びかけの白いつぼみや小さなつぼみがこれから伸びて咲こうと順番を待っているようである。

晩秋の日曜日のことである。風で庭の片隅に吹きだまりになった柿の葉を掃き集めていると、近所の高校生の娘さんが話しかけてきた。「先週、クラブ活動の時間にね。チューリップの球根を花壇に植えたんだけど、そのとき先生はね『シャベルは使わないで、穴は手で掘ってみるように。そうすると、深さもよく分かるから』というので、みんなで素手で掘ったの」と、熱心にそのときのようすを話してくれた。

それによると、女生徒だけの数人のクラブ員は、初めはシャベルで掘るものとばかり思っていたところに、「素手で」との先生の指示があったために、けげんな面持ちで作業を進めていった。ところが、掘り進んでいくうちに、思いもかけず土の中が温かいことに気づき思わず歓声をあげたという。初めは、手の汚れるのをいやがって内心ブツブツ言っていたが、自然のメカニズムに驚きを感じるとともに、どろんこ遊びに興じた幼い頃の姿を回想し、ブツブツも楽しいおしゃべりに変り、何面かの花壇もたちまちチューリップで埋めつくしてしまい、手を洗う水の冷たさも心地よく、生徒たちをさわやかな気分にしてくれたという。

先生が生徒たちに指示した一言が、思いもかけぬ体験のきっかけとなって、土のぬくもりを肌で感じさせ、いやいやな気分を爽快な気分へと見事に導いていった。生徒たちに土のぬくもりを感じさせたかったことは多分、初めから先生の目指すところであったと思われる。まさに「習うより慣れよ」である。そして、これから寒く厳しい冬を越し、やがて来る春をじっと待つ花へのいたわりの気持ちを生徒たちの心に芽生えさせようと考えたにちがいない。春には、みんなのために、美しく咲いてほしいとの願いと、きっと咲いてくれるとの望みを抱きながら、共同で作業を終えた後の充実感、それが生徒たちの「ヤッター」の歓声に表出される。

美しく咲く花にも、それまでにいたる秋には秋の、冬には冬の一定の条件が必要なようである。チューリングも球根の状態で、ある期間は低温にあわせなければならないらしい。室内などで、厳しい寒さから大切に保護されて十分な低温にあえなかった球根は、眠りからすっきりと覚めないために、その後の成長がかんばしくないといわれる。思いやりも、過ぎると逆の効果を生みかねない。

生徒たちは、この球根のように、時には冷たい雨に打たれても、吹荒ぶ北風に立ち向かっても、これをこらえながら次第に耐える力をつけていくことであろう。厳しい環境に立ったときにそれを克服するごとに成長して、花をつけた球根とともに春を謳歌し、青春を謳歌することであろう。

現代は物の豊かな時代である。その豊かさが子どもたちから、体験の機会を奪いはしないかと気がかりである。多くの体験をとおすことで、これまで知識として理解されていたことが実感として自分のものにでき、そこから新たな発見もあり得るし、創造力が培われ価値感が養われていくものと思われる。先生の一言で貴重な体験をした生徒たちの期待どおりに、チューリップが見事に花開き、全校の目を楽しませてくれることを望みたい。

(県教育センター学習指導係長)

 

少年老い易く

鈴木敬了

 

年が過ぎようとしている。早稲田大学在学中、一年程アメリカに留学した。

 

教員になって六年が過ぎようとしている。早稲田大学在学中、一年程アメリカに留学した。

留学の最初の三か月間はカリフォルニア州立大の英語講座を受講した。その後、カリフォルニア商科大経済学部、に入学した。

 

 

 


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