教育福島0128号(1988年(S63)01月)-028page
すべての水泳練習の中止を宣言してから五日目、H子を先頭にして、みんなで訴えてきたのは六月の中旬ごろ。
「どうすんの」「だらだらやってるからだぞ」などと、プールサイドに集まって話し合う光景。「練習できるようにお願いしょうよ」と仲間に呼びかけまわる子。親や先生方に相談をもちかけ、意見を求めたり支援をお願いしたり、自分たちで考えられる手だてを講じて奔走している子どもたち。私は見て見ぬふり。互いに、とても長く、苦しく感じられた四日間であった。
「よし、やるぞ!厳しいからな」開口一番。「はい、今度からは大丈夫です」と、水を得た魚のように勢いよく答えてくれたことを今でも思い出す。
それからというもの、子どもの目つきが違うとともに、自主的に意欲をもって練習に取り組む姿が多く見られ、熱気さえ感じられるものがあった。
それは、プールサイドの光景をも変えた。親たちが子どもの姿に感動し、プールに足を運ぶ人が多くなった。
私が平野小学校に勤務して五年の年月が流れようとしている。勤務以来、学級担任をしながら特設体育クラブ水泳の指導に当たってきた。水泳の楽しさを味わわせる中で、体力の向上を図りながら精神面での成長をも期待して指導に当たる。しかし、実際には頭を痛める難しさに直面する。練習を無断で休む子、練習をさせられてるかのようなやる気のない子。途中で手を抜いてしまってもったいない子などなど。
そんな態度を前にして、指導者としては、時には鬼となり、時には法外に喜ぶ演出家となり、子どもたちに接しながら、一人一人の子どもの心をつかみ、導き援助してやりたいと苦心する。
記録が伸びなくとも休まず泳ぎ続け、目標に達したとき、みんなに祝福され照れ笑いをしながら胸をなでおろしたY男に代表される姿がみられた。
特設クラブを指導する上で、常に心がけたことは、第一に、子ども一人一人に、上手になりたいという気持ちを起こさせること。つまりは学習・参加意欲である。第二に、自分の努力の結果を分からせて、やって良かったという満足感を味わわせるごと、つまりは達成動機の成就感の体験である。このことを中心に毎日、子どもたちとともに練習に励んできた。
子どもたちは、その経験の積み重ねにより、特設クラブを、自分の能力開発の可能性に向けて熱中できる場であり、ともに助け合う仲間がいて、練習・向上に励むふれあいの場としてとらえてくれて参加していたように思われる。このような積極的な子どもの育成をめざして今後も、子どもたちとともに汗を流し、数多くの喜びや悲しみ、苦労を分かちあいたいと思っている。
幸いにも、今年度、福島市小学校水泳大会で総合優勝し、四連覇を達成する喜びを、子どもとともに味わうことができた。“夏”は、私にとり、ちょっぴり苦しくても、やりがいを味わわせてくれる季節の一つである。
(福島市立平野小学校教諭)
大会で大活躍した平野小の子どもたち
十年選手
青山邦夫
私は、今年度で教職十一年目になり年数だけなら、いわゆる「十年選手」という時期に来ている。「十年一昔」とよく言われるが、あっという間に過ぎてしまったような感じもするし、その反面、今までのそれぞれの勤務校での思い出が多過ぎて、複雑な思いを胸にしながら顧みるこのごろである。
時々、自分で仕事に追われるという感じがする時がある。「仕事は追われるものではなく、自分から見つけて追っていくような気持ちで」と新任の頃から教わったが、会津の言葉でいうと「やっちゃくね」という時である。そんな時、私は十年前の新採用当時を思い出す。辞令を手にしたあの時、自分ひとりで教育界を背負っていくような意気込みを持っていた。今、思い出せば恥ずかしい限りだが、「あの時のやる気を思い出せ!」と自分を奮い立たせている。この時の「初心」を、今でも、良い面で生かすよう心がけている。
初任地で三年間続けて同じ学級を担任し、卒業生を送り出した。そして、初めて転任を経験し、分校がいくつもある小規模校に着任した。私はここで「今、自分が受け持っている子どもたち、その子どもたちが最高なんだ」という気持ちで指導することの大切さを知った。「前の学校では……」「前に