教育福島0128号(1988年(S63)01月)-029page
教えた子どもたちは……」と自分では何気なく得意になって怒っていても、それを聞く子どもたちの悲しそうな目、そんな表情に気がっくまでに半年かかった。
しかし、私にとって運が良いことには、その道その道の指導にたけた、いわゆる「専門家」とでもいうべきベテランの先生方との出会いに恵まれていたということだ。合奏や合唱の指導法、社会科のノート作り、絵の描かせ方、書写の指導など、それぞれ出会った先生方のすばらしい指導力に驚き、「私もまねをしよう」と刺激をうけた。ただ、今、反省してみると、それが単なる「まね」だけに終わっていたような気がする。今担任している児童のためにも、実態をふまえたより具体的な手だてを工夫して継続していきたいと考えている。自分で何かひとつ「私はこれだ」と自信の持てる何かを持つことが、今の私に最も必要なことであり、使命でもあると思う。
今年度も、多くのすばらしい先生方にかこまれ、特に特別活動の指導の重要性や、子ども自転車競技の指導の奥深さなどを学ばせてもらっている。
そんな恵まれた環境の中で、私はこれからも「継続は力なり」ということと、「教師自身も夢を持ち続ける」ということを守っていきたい。
あの「呈物」と騒がれた巨人軍の江川が九年間のプロ生活で引退したことを思うと、「十年選手」としての立場の自覚と責任を強く感じる。そして、次の「二十年選手」になるまでのこれからの十年間をどうがんばるか1心を奮い立たせているこの頃である。
(会津坂下町立坂下小学校教諭)
トラ太との出会い
八巻嘉男
我が家に、メス猫のトラ太が家族の一員に加わってから、はや九年がたちました。
トラ太が、当時中三の娘に連れられてきた時は、生後三か月の可愛い子猫でしたが、今では、大分年をとりお産のたびに歯も抜け、顔もおばあちゃんのような顔になってきました。
娘も息子も、猫と生活を共にしてきたせいか、東京など遠くにはなれて生活したときなども、電話をくれるときには必ず猫のトラ太のことを尋ねるのが習慣になってしまいました。そのトラ太も、何度か子どもを生み、現在では、娘のモモと又吉(メス)の三匹の世帯になり親子で仲良く生活をしています。
猫のトラ太一家と生活を共にするようになって、いろいろなことを知ったり教えられたりしたことがたくさんありますが、その中でも、強く心を打たれ感心したことをとりあげてみたいと思います。
そのひとつは、がまん強さです。猫のお産を何度か見ましたが、巣を作ってやれば巣の中でじっと痛みに耐えてひとりで全部処理し、生まれたばかりの子猫の体をなめてきれいにし、自分の乳をふくませているその姿をはじめて見たときには、胸がじんと熱くなるような感動を受けたものです。
しつけの仕方も、人間のように怒ったり、いらいらすることもなく、初めは親猫が自分でやって見せて、子どもにやらせ、同じことができるまで、何度も繰り返して教えこみます。特に排便のしつけがいちばん大変で、それを根気強くやるようです。とにかく新しいことに挑戦するときには、親が正しい見本を示しそれができるまで根気よく何回も繰り返して教える。これは、やさしいようでも、実際にやるとなると大変なことだと思います。人間社会では、三つ子の魂百までもといわれ、小さい時のしつけが重要視されていますが、猫の社会では、実に徹底して行われています。子猫が成長するにしたがって、ひとりで生きていけるように、猫可愛がりするかと思うと、自分の方に寄せつけないように威嚇したりして、だんだんと親ばなれさせていくことも、人間より上手にやっています。
子猫が一人前になっても、常にっかず離れずの距離を保ちながらも、絶えず子猫を見守っています。
子猫が初めてお産をするときなどは、人間の母親が娘のお産の看病をするのと同じように、子猫の巣の中に一緒に入って体をなめてやり、いくらかでも痛みをやわらげてやろうとしたり、無事にお産がすむまでそばで見守っています。
最近になって、子猫の又吉がいなくなってしまいました。猫は自分の死期を知ると姿を消すといわれますから、
わが家の一員となっているトラ太親子