教育福島0130号(1988年(S63)04月)-029page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

の存在と役割を実感できる良い機会であること」などを折にふれて話してきた。私の高校生活が全日制で部活動の陸上競技に明け暮れる毎日であったことを回想する時、ある種のうしろめたさは感じたが、大学の半ばで父が急死し、家庭教師、幼稚園、ガソリンスタンド、居酒屋、自転車屋と数種のアルバイトを体験したことは、生徒に話をする際の支えとなった。

しかし、Y男の心を本当に動かしたのは、卒業式での先輩の答辞であった「一口に勉強と仕事の両立と言うけれど、辛く苦しいことの多い毎日でした仕事で疲れた体に鞭を打ち、眠い目をこすりながら、どうしてこんな思いをしてまで勉強しなければならないのだろうかと泣きたくなることもありました。しかし、それを乗り越えて卒業証書を手にしたことは私の一生の支えになると思います。……。」

一人の女の子の涙ながらの答辞が、我々式場に臨んだ者の多くの心に新鮮な感動を与えた。Y男もその一人だったのである。「勤労学生」という言葉はまさしく彼たち一人一人に与えられた勲章であった。

本校での二度目の桜の季節を迎え、私のクラスの生徒たちも少しずつではあるが自分の生活、将来について真剣に考え始めるようになってきた。

「紅の一入毎に色優る昨日の我に今日は勝れり」

近来座右の銘にしている歌である。

摘みとる前には黄色い紅の花が幾多の工程を経て次第にその赤さを増して染科となるように、またその中に染物を一回ひたすごとにその赤さが増すように  私も生徒と共に少ずつ、少しずつでも向上して行きたいと、教員として決意を新たにするこのごろである。

(県立福島中央高等学校定時制教諭)

 

阿部 敏明

 

てことがあればいいね」「そんなことがありそうな気がしますよ。桜の力で」

 

「桜の花もちょうど見ごろですね」「そうだね」というわけで、夕方信夫山の中腹に出かけて行きました。「ここは、ちょっと高いから桜はまだ二、三分咲きですね」「桜よりもほら、ちょっとこっちへ来てごらんよ。福島の街がまるで箱庭みたいだよ。あれが競馬場で、その手前にあるが福島第三小学校じゃないかな。あの丸い屋根の建物が緑が丘高校だね」「あたりがだんだんうす暗くなってきましたね」「あそこの旅館の玄関のところに、”百万ドルの夜景”と書かれた看板があったけれども、なるほどこれは絶景だね」「県庁はどこですか」「ここからまつすぐ先にぼんやりと見える高い建物がそうだね」「ほとんどの部屋にまだあかりがついていますね。駅はどこですか」「右手の先の方にネオンサインが集まっているあたりがそうだよ」「あっ、電車が入ってきた」「新幹線だよ」「左手の先の方がずいぶん明るいですね」「四号線バイパス沿いに最近いろいろな店ができたからね」「その先の山の上のあかりは医大ですかね」「たぶんそうだね」「こうやって見ると、山あり川ありで自然に恵まれてなかなかいい街並みですね」「殿様にでもなって自分の領土を眺めている気分だね」「ええ、なんだかとても偉くなったような気持ちです」「月もきれいですね、今日は」「月の左隣りに輝いているのは金星ですよね」「そうだね」「僕たちが見ているこの景色は、映画やテレビのように画面が次々と切り替わることはないけれども、見る方向を変えれば別なものが見れるし、じっと同じ方向を見ても、たえず何かしらの変化があって、飽きることがないね」「そうですね。ちょっとした映画やテレビよりもずっとこっちの方が驚きや感動がありますね。なんだか自分たちが、不思議なスクリーンに入ってしまって、その中で景色を見ているような気持ちです」「今日は桜を見に来たはずだったのに、桜の花はあまり見ないで、夜景ばかり眺めていたようだったね」「でも桜の花に誘われてここまで来て、いいものを見せてもらいましたね」「桜の花には人々の気持ちを高ぶらせる何か不思議な力があるような気がするね。その力でこの夜景もよりすばらしいものに見えたのじゃないのかな」「このあたりも今度の土、日ごろが桜の見ごろになりそうですね」「そうだね。日曜日にはうちの庭の桜の花も満開になるだろうから、みんなで見てやろうじゃないか」「何かまたすばらしいものが見つかりそうですね」「そうだね。今まで何とも思わず身近にあったものが、すばらしく思えてくるなんてことがあればいいね」「そんなことがありそうな気がしますよ。桜の力で」

(県教育庁 福利課主事)

 

 

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。